何国どこ)” の例文
旧字:何國
そして、首をひねりながら熟視よくみると、今度はどうも粟田口物とは見えない、そうかといって何国どこの誰ともべつに当てがつかないのだ。
寛永相合傘 (新字新仮名) / 林不忘(著)
おや! こいつあ何国どこの人間だろう? お国者くにものかな? 一つ探りを入れてやれ、と言ったくらいの外交的言辞に過ぎないのだ。
稲荷町には、かよった情婦いろもあるだろう。何国どこか知らないが故郷いなかには息子の月の給料を待っている老父母があるかもしれない。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
多分是を渡るであろう。もう話声も聞えぬ。何国どこで話ていたか、薩張さっぱり聴分られなかったが、耳さえ今は遠くなったか。
詰込み主義の鸚鵡流の教育では、日本の学校は何国どこにひけを取らないが、何事にも自由な米国でも、教育だけはまた別だと見えて、近頃かういふ話があつた。
何国どこも同じことで、このマタ・アリ事件が政争の具に使われている。問題になったのは、マタ・アリに恋文を書いているM——Yの署名にあたる某閣僚である。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
けれどもな、鰊や数の子の一庫ひとくら二庫、あれだけの女に掛けては、吹矢で孔雀くじゃくだ。富籤とみくじだ。マニラの富が当らんとって、何国どこへも尻の持ってきようは無えのですもの。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
我国でも読売新聞が其文法を飜訳して附録にして出したことがあるから或は研究した人もあるでせう、しかし何国どこでも未だ弘く行はれるといふ程に行かぬ中、千八百八十七年
エスペラントの話 (新字旧仮名) / 二葉亭四迷(著)
と山三郎はひらりっと陸地おかあがったが、此の土地は何国どこかは知らずし人家もなくば、少し浪がしずかになったから帰ろうという時に船がなければならんから、命の綱は此の船だ、大切だいじと心付いたから
何国どこに有るといふ異論も出て、到頭『八犬伝』はおくらと成つた。
硯友社と文士劇 (新字旧仮名) / 江見水蔭(著)
基督キリスト何国どこノ人?」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
何国どこの人間か、どんな女だったか、フィリップスもブライドも二時間の余もそうして同じ部屋に居て振り返る暇さえなかった。死んだか助かったかそれも判らない。
運命のSOS (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
「君に訊くが、もしか仕事の都合で外国にかなければならぬとしたら、君は何国どこを選ぶね。」
かぶ玉菜たまなと百姓を満載したFORD——フォウドは何国どこでも蕪と玉菜と百姓のほか満載しない——や、軽業かるわざ用みたいにばかにせいの高い自転車や、犬や坊さんや兵士や、やがて
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ところがエスペラントは何国どこの言葉といふのでないから、同じ文法に依つて、同じ言葉を使ひながら、各国皆其スタイルが違ふやうだ、たとへば英人は英語を、独逸人は独逸語を
エスペラントの話 (新字旧仮名) / 二葉亭四迷(著)
「ヒャアッ! 相手は何国どこだんべ?」
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そばで品のいい英吉利イギリスの若奥さんが何国どこかのお婆さんとさかんにおしゃべりしている。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
何国どこの船だ」グロウヴスは急き込んだ。「何という船だ」
運命のSOS (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
「喇嘛僧といふのは、何国どこのお方だね。」
何国どこの港も同じ殺風景な波止場の景色に過ぎないんだが、長い長い帰りの航路をまえに控えている私達の心臓は、いささか旅行者らしい感傷に甘えようとする。が、そんな機会はなかった。