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佐々成政
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さっさなりまさ
ふりがな文庫
“
佐々成政
(
さっさなりまさ
)” の例文
土地の
口碑
(
こうひ
)
、伝うる処に因れば、総曲輪のかの
榎
(
えのき
)
は、
稗史
(
はいし
)
が語る、
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
がその
愛妾
(
あいしょう
)
、早百合を枝に懸けて惨殺した、三百年の
老樹
(
おいき
)
の由。
黒百合
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
もそうであるが、前田利家もまた、そもそもは、信長の命によって、勝家の麾下に配属されて来た一軍団であった。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
が軍勢をひきいて、冬十二月にこのルートを通過して以来(もっともこれは歴史的に証明はされていない)
可愛い山
(新字新仮名)
/
石川欣一
(著)
そこは昔
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
に攻め立てられて逃げ場を失った
富樫政親
(
とがしまさちか
)
が馬上から城砦の池に飛び込んだ古戦場であった。
幼年時代
(新字新仮名)
/
室生犀星
(著)
俳優は菊五郎、左団次、
芝翫
(
しかん
)
、福助の一座で、一番目は「
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
」、二番目は「め組の喧嘩」であった。
明治劇談 ランプの下にて
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
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佐々成政
(
さっさなりまさ
)
のさらさら越えではないが、これから美濃尾張の方面へ出るのは平坦な道だが、越中へ入るのは非常なる難路だ、それをひとつ我々で越えようではないか、越中の立山
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
と、自国の本城へ帰ったし、彼とともに、戦列に加わっていた
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
も
前田利家
(
まえだとしいえ
)
も、各〻、急潮の
退
(
ひ
)
くごとく引きあげた。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
昔、
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
は雪中を、さらさら越えをして東海道へ出たという例もある。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
富山城にある
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
がそれである。彼こそ、無二の柴田党で無二の秀吉嫌い、また秀吉
蔑視
(
べっし
)
の男でもある。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その日、
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
は、重傷を負い、野村
越中守
(
えっちゅうのかみ
)
は戦死し——辛くも前田犬千代が力戦して、わずかに味方の
退口
(
のきぐち
)
を取ったので、全滅をまぬかれたくらいだった。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
が、北国すじの
地侍
(
じざむらい
)
へたのんで、
白山
(
はくさん
)
の黒百合を取りよせて、北の政所へ献上した。
日本名婦伝:太閤夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それが帰ったと思うと、
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
が立ち寄り、
蜂谷頼隆
(
はちやよりたか
)
が訪い、市橋九郎右衛門と
不破河内守
(
ふわかわちのかみ
)
が同道して見え、京都の
貴顕
(
きけん
)
から使いやら、近郷の僧俗から、
種々
(
くさぐさ
)
の物を持って
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長の側にあって、始終、戦況を見ていた信長へこう促したのは、
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
であった。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここには加わっていないが、北越の陣に残っている前田利家と
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
と。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先頃、
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
の
物騒
(
ぶっそう
)
な暗躍や、あばれ方に対して、前田利家にも、何事につけても、五郎左と協力してやれと秀吉は云いやっておいたが、その後も、丹羽五郎左の行動は、すこしも積極的でない。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけて、
越中
(
えっちゅう
)
の
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
は、さきに小牧の大乱が
兆
(
きざ
)
すと
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐
常用漢字
小4
部首:⼈
7画
々
3画
成
常用漢字
小4
部首:⼽
6画
政
常用漢字
小5
部首:⽁
9画
“佐々”で始まる語句
佐々
佐々砲弾
佐々十竹
佐々介三郎
佐々平左衛門
佐々醒雪
佐々良路
佐々木盛綱
佐々木氏綱
佐々木基一