“ヤマト”のいろいろな漢字の書き方と例文
ひらがな:やまと
語句割合
日本36.4%
大倭13.6%
山門9.1%
大和9.1%
邪馬台9.1%
4.5%
倭邑4.5%
大和国4.5%
山途4.5%
邪馬臺4.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
タノむ所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個處々々を指摘しながら、其據る所を、日本ヤマト漢土モロコシに渉つて説明した。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
なるほど、憤怒フンヌサウもすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今大倭ヤマト一だと言はれる男たちの顔、そのまゝだと言ふのである。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
山門ヤマトの薄一本にかゝる朝雨を捉へて居る処も、客観描写の進んだ時代の物とすれば、不思議はない。
叙景詩の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
孤客遠游三保羅、偶逢邦友感懐多、豈図南米塵深処、日本店頭談大和ヤマト
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
魏志倭人伝の邪馬台ヤマト国の君主卑弥呼ヒミコは女性であり、彼の後継者も女児であった。巫女として、呪術をもって、村人の上に臨んでいたのである。が、こうした女君制度は、九州の辺土には限らなかった。
最古日本の女性生活の根柢 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ヤマトべに西風ニシ吹きあげて 雲離クモバナれ き居りとも 我忘れめや(くろ媛——記)
叙景詩の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
つぎねふや 山城川を 宮のぼり 我が溯れば、あをによし 奈良を過ぎ、をだて 倭邑ヤマトを過ぎ、我が見がし国は、葛城カツラギ 高宮 我家ワギヘのあたり(いはの媛——記)
叙景詩の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
今私が事あげ致候時ハ、皆大和国ヤマト野州ヤシウやニて軍五、六度も致し候ものをあつめをき、夫をつかい候得バ、どふしても一度ハやりさへすれバ、志をうると存候。然共、中〻時がいたらず。
姫社郷の山途ヤマト川の(川口か)の西に、荒ぶる神が居て、道行く人をとり殺すので、其訣を占ふと、筑前宗像郡の人珂是胡カゼコに、自分をイハはせれば、穏かにならうとあつた。
幣束から旗さし物へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
邪馬臺ヤマト大和國也。古謂大養徳國、所謂倭奴國ナリ。邪馬臺大和和訓也。
倭女王卑弥呼考 (旧字旧仮名) / 白鳥庫吉(著)