“さるほど”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
去程66.7%
然程33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
去程(さるほど)に同心(どうしん)原田大右衞門松野文之助(まつのぶんのすけ)の兩人何(いづ)れも旅裝束(たびしやうぞく)にて淺草三間町の自身番へ來りければ虎松も豫々(かね/″\)申付られしこと故支度(したく)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
去程(さるほど)に秀次公御若君達並(ならび)に御寵愛の女房達これかれ三十人餘、同八日之夜徳永式部卿法印がやかたへうつしまいらせ、前田徳善院田中兵部大輔きびしく番をつとめにけり
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
去程(さるほど)に札(ふだ)の辻(つじ)の自身番より月番の町奉行中山出雲守殿へ右の次第を訴(うつた)へに及びければ檢使の役人兩人非番(ひばん)の町奉行より一人出張(しゆつちやう)に相成立合の上死骸を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
去程(さるほど)に常樂院(じやうらくゐん)の小姓次助佐助の兩人(りやうにん)は己(おのれ)が命の危(あやふ)きをば知よしなく山案内(やまあんない)として大膳吉兵衞左京の三人を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
然程(さるほど)に大岡越前守殿には段右衞門前名(ぜんみやう)畔倉重四郎一件(けん)に付享保(きやうほ)十一年十二月右(みぎ)係(かゝ)り合の者共一同(どう)白洲(しらす)へ呼(よび)出され夫々(それ/″\)に其罪科(ざいくわ)を申渡されける
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
然程(さるほど)に久兵衞は口書爪印と成(なり)けるゆゑ大橋文右衞門は出牢申付られしかば去年十二月より今年三月まで概略(およそ)四ヶ月の間(あひだ)無實(むじつ)の難に苦(くる)しみしも天日明かにして終に其濡衣(そのぬれぎぬ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
然程(さるほど)に畔倉重四郎は鎌倉屋金兵衞の子分(こぶん)八田掃部練馬藤兵衞三加尻茂助の三人を伴(ともな)ひ我が家(や)を出て元栗橋(もとくりばし)へと急ぎ行く程なく來掛(きかゝ)る利根川堤早瀬(はやせ)の波(なみ)は水柵(しがらみ)に打寄せ蛇籠(じやかご)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)