みかど)” の例文
みかども御心配のあまりに行幸あそばされた。御衰弱あそばされた院は東宮のことを返す返す帝へお頼みになった。次いで源氏に及んだ。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ちょうど彼方の亭では、みかど立座りゅうざとみえて、公卿たちの群れの間から、供奉ぐぶの人員へ、御車触みくるまぶれが、しきりに手合図され出していた。
これに目を留められたのが、二条にじょう天皇で、元々、女好きのみかどであったが、事もあろうに先帝の未亡人に想いを寄せ始めたのである。
そは高きにしろしめすみかど、わがその律法おきてに背けるの故をもて我に導かれてその都に入るものあるをゆるし給はざればなり 一二四—一二六
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
後醍醐ごだいご天皇さまの第二の皇子がむかし旅をしていらしって、遠く父のみかどをおしたい申したのも、その松の木かげからだと言われております。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
午睡ひるねする人達ひとたちもあわててとびき、うえしたへの大騒おおさわぎをえんじたのも道理どうり、その来客らいきゃくもうすのは、だれあろう、ときみかどうず皇子みこ
仁和寺にんなじの宇多上皇———亭子院ていしいんみかどが平中をお召しになって、「御前に菊を植えたいと思うので、よい菊を献上するように」
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
みかどは、てん一番いちばんちかやま駿河するがくににあるときこして、使つかひの役人やくにんをそのやまのぼらせて、不死ふしくすりかしめられました。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
そもそも五一永治えいぢの昔、をかせるつみもなきに、五二みかどみことかしこみて、三歳の五三体仁としひとゆづりし心、人慾深きといふべからず。
星々は輝やかしい夜のみかどの間もなき台臨をはやくも予覚するもののやうに、暖かい夜の大気のなかで仄かに揺曳する。
人波に腰をまれながら、とある大名小路の辻に立ちすくんでしまうたに、折よくそこへ来かかつたは、みかど御輦ぎよれんをとりまいた、侍たちの行列ぢや。
きりしとほろ上人伝 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
後醍醐ごだいごみかどこそは神武の帝より数えて、九十五代にあたらせ給う。天下一度乱レテ主安カラズ。これは現代いまのよの事なのであろう。東魚来テ四海ヲ呑ム。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
我の愛か、死をもておびやかすとも得て屈すべからず。宮が愛か、なにがしみかどかむりを飾れると聞く世界無双ぶそう大金剛石だいこんごうせきをもてあがなはんとすとも、いかでか動し得べき。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
この家茂に降嫁された夫人が、すなわち和宮かずのみやであります。和宮は時のみかど、孝明天皇の御妹であらせられました。
石之姫いわのひめ筒木宮つつきのみやおこってこもられ、みかどをして手を合さんばかりに詫言わびごとを申さしめ給いし例などは随分はげしい事ですが、それが仁徳にんとく帝の御徳をわずらわしているでもなく
離婚について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
其処そこみかどが白い高張たかはり提灯を二つけた衛士ゑいじ前駆ぜんくにして行幸になり、四十七士の国法を犯した罪をゆるおの/\の忠義を御褒おほめに成ると云ふ筋である。(四月十五日)
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
かくの如きの人にして、みかどとなりて位を保つを得ず、天に帰しておくりなあたわず、びょう無く陵無く、西山せいざん一抔土いっぽうどほうせずじゅせずして終るに至る。嗚呼ああ又奇なるかな。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
五人の貴公子が失敗した後に、いよいよ現世の権力の代表者みかどが現われる。しかしかぐや姫は帝の使いに対しても、「帝の召しての給はむことかしこしとも思はず」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
藤氏専横のあいだに在って、みかどの御生涯は必ずしも安穏ではなかったようである。かかる危機感が、信仰の根底に、少くともその大きな要因としてひそんでいたと思われる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
燈火ともしびもと書物しよもつらき、ひざいだきてせ、これは何時何時いつ/\むか何處どこくにに、甚樣じんさまのやうなつよひとありて、其時代そのときみかどそむきしぞくち、大功たいこうをなして此畫このゑ引上ひきあげところ
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
みかど亭子院ていじゐん朝覲てうきんのをりから御内心をしめし玉ひしに 帝もこれにしたがひ玉ひ、其日 菅神を亭子院にめして事のよしを内勅ないちよくありしに 菅神かたくしたまひしにゆるし玉はざりけり。
その玄宗皇帝の御代みよも終りに近い、天宝十四年に、安禄山あんろくさんという奴が謀反むほんを起したんだが、その翌年の正月に安禄山は僭号せんごうをして、六月、賊、かんる、みかど出奔しゅっぽんして馬嵬ばかいこうず。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
時のみかど中宮ちゆうぐう、後に建禮門院と申せしは、入道が第四のむすめなりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、かしづける女房にようばう曹司ざうしは皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮りくきゆう粉黛ふんたい何れ劣らずよそほひらして
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
東に覇府はふありてより幾百年、唯東へ東へと代々よよみかど父祖ふその帝の念じ玉ひし東征の矢竹心やたけごころを心として、白羽二重にはかま五歳いつつ六歳むつつ御遊ぎよいうにも、侍女つかへをみなを馬にして、東下あづまくだりとらしつゝ
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
むかし西蕃さいばんから渡来した黄熟香くわうじゆくかうを、時のみかど聖武しやうむが蘭奢待の三字に寺の名を入れて、その儘東大寺の宝蔵に納められた稀代の沈香ぢんかうで、正倉院の目録によると、重量二貫五百目、長さ五尺二寸
又、神の子、仏の末裔まつえいであると信じ、宗教への情熱が、人間の中心となり、宗教家は人間の最高の者として、尊敬され、十字軍がしばしば起り、みかどは、自らを三宝さんぽうやっこと称された時代があった。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
それも一兵卒としてではなくて、聯隊の軍曹として出陣するようにな。まあ立派にお前の勇気をふるって見せるがいい。この上はもうお前はわしの家来ではなくて、あっぱれみかどの臣下なのだぞ。
日本には神代から和歌があって、それが神の御裔みすえみかどの廷に、絶えることなく承け継がれて来たという、昔ゆかしい信念であった。『古今集』の序にも和歌は素戔嗚尊すさのおのみことにはじまったと記している。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
猶太ユダヤ教奉ずる囚人が、羅馬のみかどの嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獸を鬪はせ、又人と獸と相たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事
「夏」のみかどの「眞晝時まひるどき」は、大野おほのが原に廣ごりて
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
舞殿のとばりは匂ふ夏がすみ後水尾のみかどくだしたまへる
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
この国のみかどが切におねがいなされたので。
くろみかどみたまひ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
みかど藤壺ふじつぼ女御にょごにお見せになることのできないことを遺憾に思召おぼしめして、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
源氏物語:07 紅葉賀 (新字新仮名) / 紫式部(著)
車のうちで、俊基としもとは居眠っていたらしい。おそらく、一昨夜来の宮廷では、彼のみならず、みかどをめぐって、不眠の凝議ぎょうぎだったであろう。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
底のかたをもみるをえたりき、こはたふときみかど使者つかひなる誤りなき正義がその世に名をしるせる驅者かたり等を罰する處なり 五五—五七
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
みかどには国是の確定を列祖神霊に告ぐるため、わざわざ神祇官へ行幸したもうたほどであったが、やがて明治四年八月には神祇官も神祇省と改められ
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もっとちちときみかどからいだされ、いつもおそばつかえるとて、一年いちねん大部だいぶ不在勝るすがち、国元くにもとにはただおんな小供こどものこってるばかりでございました……。
どんなおとがめがあるかと体中を硬ばらせていた係の者も、意外に愉快そうなみかどの言葉に驚いて顔をあげた。
かねて支度したくしてあつたお輿こしせようとなさると、ひめかたちかげのようにえてしまひました。みかどおどろかれて
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
にもと点頭うなずかせられて、そのとしの九月、立てゝ皇太孫と定められたるが、すなわち後に建文のみかどと申す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
勅使に対しても大阪侯の夫人侍女家臣等が腹這はらばひに成るのを始め、大詰の仇討あだうちの場へ日の丸の提灯ちやうちんを先に立てながみかどの行幸がある時にも舞台の人間は一切寝るのである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
また他の一例はおっとたるみかどが悲嘆に沈まれているにかかわらず、お側にも侍らで、月おもしろき夜に夜ふくるまで音楽をして遊ぶ弘徽殿こきでんのごとき人である(同一一六四)。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
直次が驚愕おどろきに青ざめしおもてを斜に見下して、お蘭樣は冷やかなる眼中まなこに笑みをうかべて、水の底にも都のありと詠みてみかどを誘ひし尼君が心は知らず、我父は此世の憂きにあきて
暗夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
みかど亭子院ていじゐん朝覲てうきんのをりから御内心をしめし玉ひしに 帝もこれにしたがひ玉ひ、其日 菅神を亭子院にめして事のよしを内勅ないちよくありしに 菅神かたくしたまひしにゆるし玉はざりけり。
天照大神あまてらすおおみかみおん子孫、神武天皇より九十五代のみかど、後醍醐天皇第一の皇子みこ、一ぽん兵部ひょうぶ卿親王護良もりなが、逆臣のため亡ぼされ、怨みを泉下せんかに報ぜんために、只今自害するありさま見置きて
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「さればその事でおぢやる。まづわれらが量見にては、今あめが下に『あんちおきや』のみかどほど、武勇に富んだ大将もおぢやるまい。」と答へた。山男はそれを聞いて、ななめならず悦びながら
きりしとほろ上人伝 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
中御門なかみかどの北、堀川の東一丁の所にあった時平の居館の名で、当時時平は故関白かんぱく太政だじょう大臣基経もとつね、———昭宣公しょうせんこう嫡男ちゃくなんとして、時のみかど醍醐だいご帝の皇后穏子おんしの兄として、権威並びない地位にあった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
みかどの御前に歌をよみ、御感ぎょかんにあずかり、なんじが先祖を申せとある時、はじめて国許を仔細に探ると、人皇にんのう五十三代のみかど、仁明天皇の第二の皇子、深草の天皇の御子、二位の中将と申す人
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「夏」のみかどの「真昼時まひるどき」は、大野おほのが原に広ごりて
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)