霊岸島れいがんじま)” の例文
旧字:靈岸島
六月二十五日の朝、勝三郎は霊岸島れいがんじまから舟に乗って房州へ立った。妻みつが同行した。即ち杵勝分派のものが女師匠と呼んでいる人である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
船蔵ふなぐらの裏通りから永代橋へ——そして霊岸島れいがんじま——鉄砲洲てっぽうず——汐留橋しおどめばし——日比谷——仙石邸前——伊達家前——金杉橋——
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本所柳原やなぎわら新辻橋しんつじばし京橋八丁堀きょうばしはっちょうぼり白魚橋しらうおばし霊岸島れいがんじま霊岸橋れいがんばしあたりの眺望は堀割の水のあるいは分れあるいはがっする処、橋は橋に接し、流れは流れと相激あいげき
近所はもう寝静まって、外は人通りも絶えてしまった。霊岸島れいがんじまの方で、太い汽笛の声などが聞えた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
英国いぎりす竜動ろんどんより三時間で往復の出来る処、日本にっぽんで云えば横浜のような繁昌はんじょうな港で、東京とうけいで申せば霊岸島れいがんじま鉄砲洲てっぽうずなどの模様だと申すことで、その世界に致してお話をします。
……三番は、平河町ひらかわちょう騎射きしゃ人形、……四番は、山王町の剣に水車みずぐるま、……八番は、駿河町するがちょう春日龍神かすがりゅうじん、……十七番は、小網町こあみちょうの漁船の山車、……四十番が霊岸島れいがんじま八乙女やおとめ人形‥…
駕籠かごは大変に費用がかかるので、今の汐留しおどめ停車場のそばにその頃並んで居た船宿で、屋根船を雇って霊岸島れいがんじまへ出て、それから墨田川を山谷さんや堀までさかのぼって、猿若に達したのである。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
本所柳原ほんじよやなぎはら新辻橋しんつじばし京橋八丁堀きやうばしはつちやうぼり白魚橋しらうをばし霊岸島れいがんじま霊岸橋れいがんばしあたりの眺望は堀割の水の或は分れ或はがつする処、橋は橋に接し、流れは流れと相激あひげきし、やゝともすれば船は船に突当らうとしてゐる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
『五郎作。オオ、あの霊岸島れいがんじま富豪ものもちでござるか。京で、お紹介ひきあわせを得たことがござりましたな。しかし、かように零落れいらくの身ゆえ、つい暇もなし、先は大家、訪れはさし控えておりまするが』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ピョコ/\担いで霊岸島れいがんじままでくと、鰻で飯を食うから駕籠をおろせと云うから、旦那大黒屋はうに売切れて有りません、春は早く仕舞いやすというのに、宜いから下せ、へーッてんで下すと
矢島周禎の一族もまたこの年に東京にうつった。周禎は霊岸島れいがんじまに住んで医を業とし、優の前妻鉄は本所相生町あいおいちょう二つ目橋どおり玩具店おもちゃみせを開いた。周禎はもと眼科なので、五百は目の治療をこの人に頼んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)