闕所けっしょ)” の例文
浪速なにわの豪商淀屋辰五郎が、闕所けっしょになる前に家財の大半を、こっそり隠したということですが、その財産だということですの」
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
切支丹ならば御法度ごはっとも御法度の上に、その身ははりつけ家蔵身代いえくらしんだい闕所けっしょ丸取られと相場が決まっているんだから、——おお、苦しい! 太夫水を
秘密に渡海する者を商船あきないぶねに乗せて、それが発覚したとなれば、いうまでもなく、四国屋の身代は、こそぎから闕所けっしょになる。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
荘園の住人鳥羽新三郎の闕所けっしょ作分につき、西園寺家の方よりして押妨おうぼうをしかけたから、重種が西園寺家へ出向き、先方の家職と談判していい伏せたとある。
放火は大抵火焙ひあぶりか磔刑はりつけ、軽くて獄門、遠島、自火でも時代によれば、たちの悪いのは入牢、闕所けっしょ、極く手軽なので手錠の上町内預けぐらいにはされたのです。
「そン通りでございます。姉娘のお種も同じ七月十五日の盂蘭盆うらぼんの夜、古川町闕所けっしょ屋敷で唐通詞の陳東海に匕首で脊骨の下を突ッぽがされて死んでしまいました」
父親の仇敵かたきどもの、最上位に坐して、あらゆる便宜をはからってやった上、最後に、松浦屋闕所けっしょ、追放の裁断を下した長崎奉行、土部駿河守の後身、三斎隠居一門の
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
善右衛門の子三人は流罪るざい、孫二人は仙台から十里外に放逐。家財は闕所けっしょということであった。
それらの荘園はことごとくいわゆる闕所けっしょとなっておったので、朝廷ではそれぞれ処分せられ、これと同時に頼朝は朝廷に願って個々の荘園に地頭じとうを選定する特権を与えられた。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
慶長けいちょう十八年四月に頓死したが、本多上野介正純ほんだこうずけのすけまさずみが石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕所けっしょに致し置き、めかけを詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の唐櫃からびつが出て
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
闕所けっしょ所払い、いわゆる江戸追放の刑を受けた場合、十里四方三里四方というようななわ張り書きがあったときは格別、単に江戸追放とだけで里数に制限がないとなると
「さきに、道案内に立った小兵衛を詮議せんぎしてひっ捕えろ。家は、闕所けっしょにし、一族ははりつけにかけろ」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
船岡の館は闕所けっしょ、家老の堀内惣左衛門は甲斐に殉じて自殺した。——宇乃は帯刀の妻と娘に付いて松山にゆき、そこで惣左衛門の殉死を聞き、慶月院の死を聞いたのである。
もろともに密輸出入ぬけにあきない——御奉行が承知の上のことゆえと、いやがるわしに、あきないをさせ、どたん場で、わが身は口をぬぐい、わし一人を、闕所けっしょ投獄とうごく——して、只今では、この大江戸で
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
家は闕所けっしょ、当人追放、一家離散で、けりをつけてしまったればこそだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
古金銀の隠匿いんとく闕所けっしょになり、浮浪の仲間入りしている味噌久を、口のかたい男と見て、鼠捕り薬を入れた揚団子あげだんごを背負わせ、人目につかぬ道まで苦労して、はるばるその決行に来たのだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
闕所けっしょすべて、残り少なになりにける