金助きんすけ)” の例文
その中でも一番熱心なのは、手代の金助きんすけという三十男と、与三郎よさぶろうという二十三の若造と、それから佐久間の倅の二十四になった伊太郎いたろうでした。
次は大井と庄司とでおの/\小筒こづゝを持つ。次に格之助が着込野袴きごみのばかまで、白木綿しろもめん鉢巻はちまきめて行く。下辻村しもつじむら猟師れふし金助きんすけがそれに引き添ふ。次に大筒おほづゝが二挺とやりを持つた雑人ざふにんとが行く。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「さァ、金助きんすけ。」
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
して待うち翌日に成しかば名主鵜川惣内うがはそうない後家お深組頭周藏佐治右衞門傳兵衞でんべゑ木祖きそ兵衞親類には千右衞門喜平治金助きんすけ大八丈右衞門兩となりの善右衞門まご四郎辰六かく右衞門其ほか多人數たにんず入來り九郎兵衞八右衞門きう七八内忠七六之助などは分家ぶんけ故皆々勝手働き先代が取立とりたてし百姓三五郎辰八等は水を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かしつかはせし者はなきやと有に道庵は暫時しばしかんがへ別に是ぞと申者も御座なく候へども貧困人ひんこんにんは三四人迄出入致し申候其者の名前一人は先妻せんさいをひ源次郎と申只今本郷金助きんすけ町に罷り在當年四十五六歳に相なり家内困窮こんきうには候へども正直しやうぢき者にて金子貸遣かしつかはし候ても約束やくそくの時日には屹度きつと返濟へんさい致し殊に當時御小人目付を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)