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木祖
九助方へ遣せしは水呑村々役人共其方へ掛合て
貰ひ
請しと有が如何やと尋問らるゝに藤八ヘイ
御意の通り九助
親類中周藏左次右衞門
木祖兵衞喜平次
與右衞門大八
善右衞門
孫四郎八人の代として周藏喜平次の兩人
媒妁となり私し
姪を
して待うち翌日に成しかば名主
鵜川惣内後家お深組頭周藏佐治右衞門
傳兵衞木祖兵衞親類には千右衞門喜平治
金助大八丈右衞門兩
隣の善右衞門
孫四郎辰六
角右衞門其
外多人數入來り九郎兵衞八右衞門
久七八内忠七六之助などは
分家故皆々勝手働き先代が
取立し百姓三五郎辰八等は水を
久々都の名義を考ふるに、日本紀に
木祖久久能智とある久々は茎にて、草木の幹をいふ。
智は男を尊む称なり。
智と
都と通音なり。