軍奉行いくさぶぎょう)” の例文
たったいま軍奉行いくさぶぎょうより、明軍みんぐんは、すでに三里さきまでおし寄せてまいった、防戦のしたくせよ、と通知がまいったところであった。
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)
本多三弥の三人が軍奉行いくさぶぎょうでありながら令を犯して進んで戦ったので厳しく之をとがめたところ、上坂横山の二人は自分の高名こうみょうの為ではなく
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
馬超がけば、成功疑いなしと思った。張魯はここに意を決して、一軍を彼にさずけ、楊柏を軍奉行いくさぶぎょうとして、ついに援蜀政策を実行に移した。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
篝火かがりびさかんに燃えたたせ、軍奉行いくさぶぎょうの斎藤太郎左衛門、同じく隅田弾正少弼しょうひつ床几しょうぎを立てての検分のありさま、あまりに由々ゆゆしく存じましたれば、雑兵をとらえ訊しましたるところ
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
敵一万の大将たいしょうち取ったとは、あっぱれな働きである。いそぎ軍奉行いくさぶぎょう太田飛騨守おおたひだのかみへ、このむねをとどけ出せ。
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)
軍奉行いくさぶぎょうに触れさせて、秀吉も行糧を喰べた。けれど、烹炊ほうすいの煙は一切あげなかった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和田呂宋兵衛わだるそんべえたちが、おおきな十をささげて、層雲そううんくずれの祈祷きとうにでていったあとは、腹心の轟又八とどろきまたはち軍奉行いくさぶぎょうかくになって、伊那丸いなまる咲耶子さくやこをうつべき、明日あすの作戦に忙殺ぼうさつされていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
精悍無比せいかんむひときこえた亀井武蔵守かめいむさしのかみの兵七百、内藤清成ないとうきよなり手勢てぜい五百、加賀爪甲斐守かがづめかいのかみの一隊六百余人、高力与左衛門こうりきよざえもんの三百五十人、水野勝成みずのかつなり後詰ごづめの人数九百あまり、軍奉行いくさぶぎょう天野三郎兵衛康景あまのさぶろべえやすかげ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
軍奉行いくさぶぎょうの内藤四郎左衛門と渡辺半十郎政綱はんじゅうろうまさつなのふたりが
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)