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おふ
徊歴し
肥後國熊本の
城下に到りぬ
爰は名に
負五十四萬石なる
細川家の城下なれば他所とは
替り
繁昌の地なり寶澤は既に
路用を
九三面なきことのいはで
病みなんも、
九四いづれの神になき名
負すらんかし。
商ひ未だ東西も知らぬ土地なれども
櫛笄簪の
荷を
脊負歩行に名に
負大都會なれば日本一の
貧き人もあれば
又双びなき
金滿家もありて大名も
棒手振も
押並んで
歩行を
立出て其夜
大津に泊り翌日は
未明より立て名にし
負近江八景を眺めつゝ行程に其以前大津を