西園寺さいおんじ)” の例文
一世お鯉——それはかつらさんのお鯉さんと呼ばれた。二世お鯉——それもねえさんの果報に負けず西園寺さいおんじさんのお鯉さんと呼ばれた。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ある年の秋の一夜だったが、西園寺さいおんじさき太政大臣だじょうだいじん実兼さねかねの末の姫が、とつぜん北山の邸から姿を消した事件など、ひところの騒ぎであった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また西園寺さいおんじ首相の招待を断わって新聞をにぎわせた。そういうことから私たちは漱石が権門富貴に近づくことをいさぎよしとしない人であるように思い込んでいた。
漱石の人物 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
今日この憲法擁護の声の起った本は、西園寺さいおんじ公望きんもち〕侯〔爵〕の辞職である。陸軍大臣が辞職して、そのために西園寺侯が内閣を維持しあたわぬというのが根本である。
また内大臣実宗さねむねの女を妻とした。これは後の西園寺さいおんじ太政大臣公経きんつねの同胞であった。そこで定家は歌ばかりでなく、九条家や西園寺家にたよって立身出世する野心を持った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
今村清之助いまむらせいのすけは常に紅葉の作を愛読していたが、感服の余りに一夜旗亭きていに紅葉を招いて半夜の清興をともにしたそうだ。西園寺さいおんじ公も誰のよりも紅葉の作を一番多く読んでおられるようだ。
これは主として長田秋濤おさだしゅうとう君の斡旋あっせんで成立したらしく、西園寺さいおんじ侯を主賓として、福地桜痴ふくちおうち末松青萍すえまつせいひょう尾崎紅葉おざきこうよう高山樗牛たかやまちょぎゅうの四氏、ほかに松居君と榎本虎彦えのもととらひこ君とわたしの三人が加えられた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
守る京極きょうごく勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛このえ殿より鷹司たかつかさ殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺さいおんじ殿、転法輪てんぽうりん、三条殿をはじめ、公家くげのお屋敷三十七
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
既にして更に西園寺さいおんじ侯爵こうしゃくもまたちょくを帯びて渡韓したりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
九条家と西園寺さいおんじ家とは姻戚いんせき関係があり、九条家は頼朝と姻戚関係があったので、後京極摂政良経の子道家と、西園寺公経きんつねの女との間に出来た頼経が、実朝の亡くなったあと
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
この点からいえば、多数党を率いる西園寺さいおんじ公望きんもち〕侯〔爵〕の如きは、政治的手腕をふるうに最も便宜多き地位にあるのみならず、また最も国民に対して重き責任を負うているのである。
選挙人に与う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
例えば西園寺さいおんじ侯の招宴を辞する如きは時の宰相たり侯爵たるが故に謝絶する詩人的狷介けんかいを示したもので政治家的または外交家的器度ではない——という、こういう意味の手紙であった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
守る京極きょうごく勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛このえ殿より鷹司たかつかさ殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺さいおんじ殿、転法輪てんぽうりん、三条殿をはじめ、公家くげのお屋敷三十七
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)