“蝟集(ゐしふ)” の例文
或新時代の評論家は「蝟集(ゐしふ)する」と云ふ意味に「門前雀羅(じやくら)を張る」の成語を用ひた。「門前雀羅を張る」の成語は支那人の作つたものである。
侏儒の言葉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
雲黒く気重く、身蒸(む)され心塞(ふさ)がれ、迷想頻(しきり)に蝟集(ゐしふ)し来る、これ奇なり、怪なり、然れども人間遂にこれを免かること難し。
三十七年(ねん)一月(げつ)大雪(おほゆき)の害(がい)と、其(その)七月(しちぐわつ)疫疾(えきしつ)の爲(ため)に、牛馬(ぎうば)其(その)半(なかば)を失(うしな)ひたるの災厄(さいやく)あり。其他(そのた)天災(てんさい)人害(じんがい)蝟集(ゐしふ)し來(きた)り、損害(そんがい)を蒙(かうむ)る事(こと)夥(おびたゞ)しく、余(よ)が心(こゝろ)を惱(なやま)したる事(こと)實(じつ)に尠(すくな)からざるなり。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
香亭(かうてい)雅談に拠るに、冬嶺は山本北山の門人で、奚疑塾(けいぎじゆく)にあつた頃は貧窶(ひんる)甚しかつた。その始て幕府に仕へたのは嘉永中の事で、此より弟子大に進み、病客も亦蝟集(ゐしふ)したさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼は纍々(るゐるゐ)たる紅球燈の光を浴びて、新富座の木戸口に佇(たたず)みつつ、霖雨の中に奔馳(ほんち)し去る満村の馬車を目送するや、昨日の憤怨、今日の歓喜、均(ひと)しく胸中に蝟集(ゐしふ)し来り
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)