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もとめ
ふりがな文庫
“
求馬
(
もとめ
)” の例文
「十丁目の尾張樣御下屋敷にも變なことがあつたさうで、御留守居の安藤
求馬
(
もとめ
)
樣と仰しやる方が、笹野の旦那の御口添へで、先刻お見えになつたよ」
銭形平次捕物控:302 三軒長屋
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
文学士小林庄次郎氏も亡くなつた。史料編纂官の藤田明氏も亡くなつた。女子高等師範の須藤
求馬
(
もとめ
)
氏も亡くなつた。文部編修官の
重田
(
しげた
)
定一氏も亡くなつた。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
津崎左近
(
つざきさこん
)
は助太刀の
請
(
こい
)
を
却
(
しりぞ
)
けられると、二三日家に閉じこもっていた。兼ねて
求馬
(
もとめ
)
と取換した
起請文
(
きしょうもん
)
の
面
(
おもて
)
を
反故
(
ほご
)
にするのが、いかにも彼にはつらく思われた。
或敵打の話
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
里見※右衞門橋本九兵衞目付朝比奈七之助
徒
(
かち
)
目付岩本大藏勘定奉行兼郡奉行松本理左衞門代官黒崎又左衞門市田武助町奉行
緒方
(
をがた
)
求馬
(
もとめ
)
等出席ありて
足輕
(
あしがる
)
共は白洲を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
男子がないので、同族の弥右衛門忠高の家から、七男の市十郎(幼名は
求馬
(
もとめ
)
)を、十歳のとき、もらいうけた。むすめのお縫にめあわせて、家督をつがせるつもりなのは、いうまでもない。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
言ふ迄もなく柴田文内と吉住
求馬
(
もとめ
)
。主君植村土佐守が、お菊横死の
趣
(
おもむき
)
を聞いて、二人に
香華料
(
かうげれう
)
を持たせたのです。
銭形平次捕物控:066 玉の輿の呪
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
寛文
(
かんぶん
)
十年
陰暦
(
いんれき
)
十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に
上
(
のぼ
)
った。彼の
振分
(
ふりわ
)
けの
行李
(
こうり
)
の中には、
求馬
(
もとめ
)
左近
(
さこん
)
甚太夫
(
じんだゆう
)
の三人の遺髪がはいっていた。
或敵打の話
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
世故
(
せこ
)
に
長
(
た
)
けた柴田文内と、若くて腕の出來る吉住
求馬
(
もとめ
)
は、お氣に入りの筆頭で、その日も土佐守の遠乘りのお供をして、呉服橋の上屋敷から、一氣に目白へのし
銭形平次捕物控:066 玉の輿の呪
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
平太郎には当時十七歳の、
求馬
(
もとめ
)
と云う
嫡子
(
ちゃくし
)
があった。求馬は早速
公
(
おおやけ
)
の
許
(
ゆるし
)
を得て、
江越喜三郎
(
えごしきさぶろう
)
と云う若党と共に、当時の武士の習慣通り、
敵打
(
かたきうち
)
の旅に
上
(
のぼ
)
る事になった。
或敵打の話
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
翌る朝、植村土佐守家來、柴田文内と吉住
求馬
(
もとめ
)
、女乘物を用意して、お樂の茶店の裏口へ着けました。
銭形平次捕物控:066 玉の輿の呪
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
石崎
求馬
(
もとめ
)
なる者に討たれて、碓氷貞之助一人生き殘つたが、善惡邪正は兎も角、爭ひの
基
(
もと
)
は婦人とわかつて、生き殘つた碓氷貞之助殿も、有無を言はせず永の暇と相成つたのぢや
銭形平次捕物控:221 晒し場は招く
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
「それがね、親分。相手が悪いんで。何しろ、千二百石の御旗本、佐野
求馬
(
もとめ
)
様——」
銭形平次捕物控:131 駕籠の行方
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
求
常用漢字
小4
部首:⽔
7画
馬
常用漢字
小2
部首:⾺
10画
“求”で始まる語句
求
求食
求道
求法
求婚
求女
求道者
求麻
求子
求児