時疫じえき)” の例文
けれども不幸はそれだけではなかった、新秋八月にはいると間もなく、長男の臣之助が悪質の時疫じえきにかかり、僅か三日病んで急死したのである。
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫じえきで亡くなりまして、弟と二人跡に殘りました。
高瀬舟 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
越えて翌年、益々盛んになって、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まず此時疫じえきに亡くなって、八月にはとうとう、式家の宇合卿うまかいきょうまでたおれた。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
同伴者どうばんしゃ連立つれだたうとて、同門跣足どうもんせんそくある御坊ごばうたづねて、まちある病家びゃうかをお見舞みまやってゐるのにうたところ、まち檢疫けんえき役人衆やくにんしゅう兩人ふたりながら時疫じえきうちにゐたものぢゃとうたがはれて
時疫じえきで死んだ死骸のように
後に茨田は瀬田の妻子をおとしてつた上で自首し、父柏岡と高橋とも自首し、西村は江戸で願人坊主ぐわんにんばうずになつて、時疫じえきで死に、植松は京都で捕はれた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此時一度、凡石城はとり毀たれたのである。ところが其と時を同じくして、疱瘡もがさがはやり出した。越えて翌年、益盛んになつて南家・北家・京家すべてばた/″\と主人からまづ此時疫じえきに亡くなつた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
入田村は夏から秋に掛けて時疫じえきの流行する土地である。八月になって川谷、横田、土居の三人が発熱した。土居の妻は香美郡夜須村かがみごおりやすむらから、昼夜兼行で看病に来た。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わたくしは小さい時に二親ふたおや時疫じえきでなくなりまして、弟と二人ふたりあとに残りました。
高瀬舟 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
六つ七つのときはやりの時疫じえきにふた親みななくなりしに、欠唇にていと醜かりければ、かえりみるものなくほとほとえに迫りしが、ある日パンの乾きたるやあると、この城へもとめに来ぬ。
文づかい (新字新仮名) / 森鴎外(著)