日吉ひよし)” の例文
ここは近江おうみの国、比叡山ひえいざんのふもと、坂本さかもとで、日吉ひよしの森からそびえ立った五重塔ごじゅうのとうのてッぺん——そこにみんなのひとみがあつまっているのだった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
手紙の奥には老母の信心する日吉ひよしさまとかの御洗米が、一ト袋き込まれてあった。老母は夜の白々あけにそこへ毎日毎日孫の平癒へいゆを祈りに行った。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
日吉ひよしさんの秀雄ひでをさんは今年七つ。ほんとに賢い子供だ。毎日、ランドセルをせおつていきほひよく
賢い秀雄さんの話 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
おれがあの時吹き出さなかったのは、我立つそま地主権現じしゅごんげん日吉ひよし御冥護ごみょうごに違いない。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そのふしぎな人物をなんとかして地上へおろしてみたら、あるいは、日吉ひよしとうの上にいた、奇怪きかいな人間のなぞもとけようかと考えたのであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ではさきごろ、日吉ひよし五重塔ごじゅうのとうへ登っていたのも居士ではなかったか、はじをもうせば、里人さとびとの望みにまかせてたところが、一さぎとなって逃げうせた」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは今朝からこの附近へ立ち廻って、信長へ近づく機会を半日も待ち構えていた日吉ひよしであった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて、小猿とか、日吉ひよしとか呼ばれて、姓さえろくになかった時代の生い立ちを知りたがった。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武士さむらい部屋の面々も出て、戻らねば土塀越しにほうり出すぞと、おどしつけましたところ、もう一遍取り次いでくれ、十年前、矢矧川やはぎがわ(矢作川)でお目にかかった日吉ひよしといえば
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父は元、御先代のおやかた信秀のぶひで様の足軽組に仕えおりました、木下弥右衛門きのしたやえもんと申すもの。てまえは、弥右衛門の子日吉ひよしといい、父のい後、中村で母と共に暮して来ました。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中村時代の手に負えなかった秀吉の——日吉ひよしといった時分の悪戯いたずらぶりだの、奉公先からおしりばかり持込まれたことだの、喰べるに物もなかった貧苦の中に泣かされたことだの
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
猿々とのみよばれて、日吉ひよしという名すら、誰も呼ばなかった寒々さむざむしい鼻たれ小僧だった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「尾張中村の木下弥右衛門やえもんせがれといえば、わしだけしかない。名は、日吉ひよしというのさ」
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらく、かれの夫人や母堂や、ほかのつぼねの女性たちからも、いっせいに、非難と糾弾きゅうだんの矢をあびせられたにちがいあるまい。——けれどまた、かつては、かれ自身も、少年日吉ひよしとよぶ流浪児るろうじだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弥右衛門やえもんの子、日吉ひよしは、ことし七歳になる。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)