宗矩むねのり)” の例文
宗矩むねのりは不在、孫の兵庫利厳としとしも遠国。——どうしても、柳生を打ってこの土地を通ろうというのには、石舟斎を目がけるほかはない。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又右衛門の師、柳生但馬守たじまのかみ宗矩むねのりなどはこの点に於てその妙境に到達している人である。禅でも心の無を重んじるが剣も心をむなしくする事を大切としている。
鍵屋の辻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
大目附柳生但馬守宗矩むねのり、秋山修理亮、水野河内守、加々爪かゞづめ民部の人々が利勝の左右に著座する。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
ひとり五男の但馬守宗矩むねのりに、伝血の望みはしょくされていたが、それも江戸常住となって、稀〻たまたまの便りが、せめての楽しみであった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柳生宗矩むねのり殿の弟子として、又右衛門という但馬守殿の通称を、譲られた位のまな弟子故と——今一つは、例の河合又五郎の一件に、助太刀をしてもおるし、一期の晴れの場所故、一生の思出として
寛永武道鑑 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
その子には、家康に認められた但馬守宗矩むねのりを生み、その兄たちには、勇猛の聞え高い五郎左衛門や厳勝としかつなどを出し、また孫には
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安房守あわのかみから柳生宗矩むねのり様へ実情を申しあげ、お骨折りで、師の家名だけは、養子の手続きを取って、残ることに相成りました。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時、沢庵の学識道徳に傾倒する大名はすくなくなかったが、特に熱烈だったのは、細川越中守忠利ただとしと、柳生但馬守宗矩むねのりであった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへよく来ていた人物の中に上泉伊勢守の老弟鈴木意伯いはくがあり、柳生家の息子という柳生五郎左衛門があり、その弟の宗矩むねのりなどがあった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……宗矩むねのりでございまする。おわかれ申して後は、しては大御所様の御陣に、平素、仕えては江戸表の秀忠様のお側に。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けだし、柳生流の本来とするところは、流祖石舟斎が、但馬守宗矩むねのりの出府に際して、ねんごろにさとしているとおりに
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その又右衛門宗矩むねのりが、ちょうど三十歳となった年の六月には、主君家康の軍に従って、上杉景勝かげかつを討つため、野州小山おやまの陣中に、一旗本として働いていた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸表にある長子の但馬守宗矩むねのりが、この四月中旬にならなければ公儀からいとまをとって帰国できない事情にあるため——まだを発せずに秘めてあるのだった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、甥の兵庫という人物は、宗矩むねのりとちがって、至って気楽な性質とみえ、叔父がどう見ようが思おうが
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて四月の頃ともなれば、叔父の宗矩むねのりが、賜暇を得て、江戸表から帰国する。その折を待って叔父と共に江戸へ下るか——それとも、直ぐにも一人で立つ考えか。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、末枝の勝敗にのみ走ることをいましめていたし、また、その子の但馬守宗矩むねのりに師事した将軍家光も
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵庫利厳としよしは但馬守宗矩むねのりの父、石舟斎の孫にあたっている。十兵衛とは従兄弟いとこである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがてはいって来た柳生宗矩むねのりと武蔵とは、いうまでもなく、初対面であった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その兵庫ひょうごは今、彼方かなたの橋廊下を越えて、宗矩むねのりの部屋のほうへ渡って来た。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といえば、第一指に、誰しも、但馬守宗矩むねのりを折るほどであった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
叔父宗矩むねのりの近状やら、武蔵の事ども。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)