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奕々
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えきえき
ふりがな文庫
“
奕々
(
えきえき
)” の例文
英雄僧の
真面目
(
しんめんもく
)
が
奕々
(
えきえき
)
として光を放ち、五右衛門はもちろん座にある者一度にハッと威厳に打たれて息を深く呑んだほどであった。
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
一見、直ちに、さすがはと、その人らしく見られる者では、滝川一益など風采
奕々
(
えきえき
)
たるほうで、一流の武将とうけとるに誰も
吝
(
やぶさ
)
かとしないであろう。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼女の心の前には、「
奕々
(
えきえき
)
たる美」に、燦然と輝きながら、千年の地下の眠りから呼び覚まされたアフロジテの像に、静かな表情でコンパスと定規をあてて
地は饒なり
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
今
遜志斎集
(
そんしさいしゅう
)
を執って
之
(
これ
)
を読むに、
蜀王
(
しょくおう
)
が
所謂
(
いわゆる
)
正学先生
(
せいがくせんせい
)
の精神面目
奕々
(
えきえき
)
として
儼存
(
げんそん
)
するを覚ゆ。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
ポオル・クロオデル日本に来りし時、この東海道の松並木を見て作る所の文一篇あり。
痩蓋
(
そうがい
)
煙を含み
危根
(
きこん
)
石を倒すの状、
描
(
ゑが
)
き得て
霊彩
(
れいさい
)
奕々
(
えきえき
)
たりと云ふべし。今やこの松並木亡びんとす。
骨董羹:―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
▼ もっと見る
匂やかな若衆すがたは、今、まるで生きているその人のように、生彩
奕々
(
えきえき
)
として
素絹
(
そけん
)
の上にほほえみつつ、その日の思い出を
永劫
(
とわ
)
に生かそうとてか、片手にかざした白つつじの花ひと枝——
艶容万年若衆
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
この泉石像は、日本画の肖像画として、顔に洋風の陰影をつけ風神
奕々
(
えきえき
)
たるものとして有名である。崋山は泉石の蘭学の弟子であって、先生の画像を描いたので、特に力を入れたものであろう。
『雪華図説』の研究後日譚
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
一見すると支那の
神農
(
しんのう
)
、しかし仔細に見る時は、紛れもない日本人、それも穢い老乞食、だが全幅に漲る気品は、
奕々
(
えきえき
)
として神のようである。
任侠二刀流
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
そしてここはまだ天下
混沌
(
こんとん
)
といっていいところだが、
奕々
(
えきえき
)
と天の一方からは、理想の到達に誇ッた凱歌のあしおとが近づいて来つつあった。——都門還幸の
後醍醐
(
ごだいご
)
の
龍駕
(
りゅうが
)
であった。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その時、多くの世人から、
光明優婆塞
(
こうみょううばそく
)
と名を呼ばれた、神彩
奕々
(
えきえき
)
たる大行者が、富士の裾野から世に下った。
神州纐纈城
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
いずれにせよ、不思議なばかり
奕々
(
えきえき
)
たる人気の
彩霞
(
さいか
)
が、本能寺の惣門から
甍
(
いらか
)
にまで
棚曳
(
たなび
)
いているのは事実である。夜霧へ
映
(
は
)
え
射
(
さ
)
すそこからの
天明
(
そらあか
)
りは、
尿小路
(
いばりこうじ
)
の裏町からも仰がれるほどだった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まさに
神采
(
しんさい
)
奕々
(
えきえき
)
として、
梟雄
(
きょうゆう
)
弾正太夫をさえ、
叱咜
(
しった
)
し去らん勢いである。
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
と、
読経
(
どきょう
)
の声が絶え、
窟
(
いわや
)
の口へ百地三太夫
神彩
(
しんさい
)
奕々
(
えきえき
)
として現われたが
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
奕
漢検1級
部首:⼤
9画
々
3画
“奕”で始まる語句
奕
奕堂
奕棋
奕禧