大隈おおくま)” の例文
殊に古川は留学前は大隈おおくま侯の書生であって、義弟西源四郎は伊藤公の知遇を受けて終に公の駙馬ふばとなった浅からぬ縁故があったから
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
何か政府中に議論が生じたと見え、以前至極しごく同主義でありし隈伊井の三人がようやく不和になって、その果ては大隈おおくまが辞職することになりました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
西郷さいごうが出したり大隈おおくまが出したりした不換紙幣はじきに価値が低くなったが、利休の出した不換紙幣はその後何百年を経てなおその価値を保っている。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
大隈おおくま伯が高等商業の紛擾ふんじょうに関して、大いに騒動しつつある生徒側の味方をしている。それが中々強い言葉で出ている。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は大隈おおくま党の実際政治にも政友会の政治意見にも、ベルグソンやロダンの現代思想と更に一点の共鳴する所さえ認めることの出来ないのを口惜くやしく思う。
鏡心灯語 抄 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
たとえば大隈おおくまは、「民部大輔みんぶたいふ兼大蔵大輔従四位守じゅしいしゅ管原朝臣重信すがわらあそんしげのぶ」と下手くその筆で署名したのである。
武鑑譜 (新字新仮名) / 服部之総(著)
岩倉公爵夫人——東伏見宮ひがしふしみのみや大妃周子殿下の母君も、殿下が今もなおお美しいがごとく清らかな女だった。大隈おおくま侯夫人綾子も老いての後も麗々しかったように美しかった。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
大隈おおくま未亡人綾子刀自あやことじが御重体であると新聞紙上で承り、昔、お見知りの人のことで、蔭ながらお案じしていた次第であったが、今朝(大正十二年四月二十九日)の新聞を見ると
彼等の駄法螺は大隈おおくま伯(侯と書くべきだが、彼等と対照させるためにわざと伯と書いた)
錬金詐欺 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
新秋の一日、——私は大隈おおくま会館の庭園の中を歩いていた。午後の空が曇っているせいか、手入れの行きとどいた庭園でありながら、何となく荒廃したかんじが視野の中にあふれている。
早稲田大学 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
大隈おおくまの大輔と井上かおるのあいだに挟まって胡坐あぐらをくんでいた伊藤俊輔であった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
沼南が大隈おおくま参議と進退をともにし、今の次官よりも重く見られた文部ごん大書記官の栄位を弊履の如く一蹴いっしゅうして野に下り
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
この意味において私どもは大隈おおくま内閣の文部省が女子大学の必要を公認したことを感謝します。またなるべくどの男子の大学でも婦人の聴講生を許すに至ることを希望します。
婦人改造と高等教育 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
福沢が旧幕以来あれほど桑原くわばらがったところの「政治」に、なかんずく禁物視した維新政権——大久保に、伊藤・井上・大隈おおくまに近づくための第一直接の契機はただこれに在った。
福沢諭吉 (新字新仮名) / 服部之総(著)
明治十三年の冬、時の執政せっせい大隈おおくま伊藤いとう井上いのうえの三人から私方に何か申してまいって、る処に面会して見ると、何か公報のような官報のような新聞紙を起すから私に担任してれろと云う。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
有栖川宮ありすがわのみや妃慰子殿下、新樹しんじゅつぼね、高倉典侍、現岩倉侯爵の祖母君、故西郷従道さいごうつぐみち侯の夫人、現前田侯爵母堂、近衛公爵の故母君、大隈おおくま侯爵夫人綾子、戸田伯爵夫人極子を数えることが出来る。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)