場処ところ)” の例文
旧字:場處
大久保の新居に来ての朝夕、馴染なじみのない場処ところでありながら、赤坂に住んだ五年間と変らないのは、陸軍のラッパの、音をきくことだけだった。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
さすがに錠前くだくもあらざりき、正太は先へあがりて風入りのよき場処ところを見たてて、此処へ来ぬかと団扇うちわの気あつかひ、十三の子供にはませ過ぎてをかし。
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
切迫詰せっぱつまって、いざ、と首の座に押直る時には、たとい場処ところが離れていても、きっと貴女の姿が来て、私を助けてくれるッて事を、堅くね、心の底に、たしかに信仰していたんだね。
女客 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大きな深い千曲川の谷間たにあいはその鳴声で満ちあふれて来た。飛騨ひだ境の方にある日本アルプスの連山にはまだ遠く白雪を望んだが、高瀬は一つ場処ところに長く立ってその眺望を楽もうともしなかった。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
場処ところは、麻布林念寺前なる、柳生対馬守のお上屋敷。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そこには大きな角火鉢や、大きな鑵子かんすがあって世話人や、顔の売れた信者の、団欒だんらんする場処ところだった。
露路へはいりながら、しどい場処ところですといって番地と表札をさがしたが、西川鉄五郎の家はどうしても知れないので空家あきやのような家で聞くと、細い細い声で返事をした。
外賓接待にはらされない場処ところとなって、ドイツ皇孫ヘンリー親王の来朝の時から、我国の宮殿下方みやでんかがたもおそろいにて成らせられ、その時の接待係は、鍋島なべしま伊達だての大華族であり
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
またある時は(新年のことであったと思う)晴着がないので、国子の才覚で羽織の下になるところは小切こぎれをはぎ、見える場処ところにだけあり合せの、共切ともぎれを寄せて作った着物をきていったことがある。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)