喇嘛ラマ)” の例文
明の時代のこと、蒙古から支那に伝来した喇嘛ラマ教が盛んになって、喇嘛僧の勢力が増大するにつれ、弊害百出し、社会を毒すること極度に達した。
それでも、老人たちの残したおしえは固く守られていると見えて、今でも、この島の最後の者たるべき女の児は、喇嘛ラマ活仏いきぼとけのように大事にされている。
「それは喇嘛ラマ僧が使つてる威儀の物ぢやないか、こんな物の上に坐つたら、主人もお客も一緒にばちが当らうて。」
遼陽城外、すべて緑楊りょくようの村である。秋雨あきさめの晴れたゆうべに宿舎のかどを出ると、斜陽は城楼の壁に一抹いちまつ余紅よこうをとどめ、水のごとき雲は喇嘛ラマ塔をかすめて流れてゆく。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
物々しい喇嘛ラマ風の胴服を着、印を結んだり解いたりするような、変に技巧的な手附をし、その前に跪坐し平伏し、恐れおののいている被施法者を、威嚇していたとしたらどうでしょう。
喇嘛ラマ教の曼陀羅まんだら、これは三尺に五尺位な切れで壁にかけるやうになつて居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
〈最も喇嘛ラマを重んず云々、遥かにこれを見ればすなわち冠をぬぎ叩著こうちょす、喇嘛手にてその頂を摩し、すなわち勝れてこれを抃舞べんぶす、女を生めば美麗なるを択びてこれを喇嘛に進むるに至る
だから此のカムパニールは、満州の喇嘛ラマ塔のように迷路の標塔でもある。
バークレーより (新字新仮名) / 沖野岩三郎(著)
風の音喇嘛ラマ塔の背に起りしが春山なれや照りつつ止みぬ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
チベットの喇嘛ラマ僧リンチェンラマより頂いた西蔵の貴重な経文等々、こう書きならべて見るとあなたがたにはことごとく見覚えのある懐しいものばかり
勿論それは毎日毎日観飽きている賑かさには相違ないが、しかし同時にその賑かさは新来の旅行客きゃくを喜ばすに足る大変珍奇めずらしい賑かさでもあった。まちの真中に山のように喇嘛ラマの宮殿が聳えている。
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
アストレイの『西蔵チベット記』に、大喇嘛ラマの糞尿を信徒に世話しやりて多く利を得る喇嘛僧の事を載す、蒙古人その糞の粉を小袋に入れ頸に掛け、その尿いばりを食物におとして用うれば万病を除くと信じ
この旅中に日本人の一喇嘛ラマ僧に会い、支那では古来八月十五夜に「月餅」と称する菓子を拵え、これを月前に供えるとともに、親しい間に盛んに贈答が行われるという話を聞き
喇嘛ラマ教で祀る天地仏などは、その最もはなはだしいものであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)