勅諚ちょくじょう)” の例文
宮中で物争いをしたために「歌枕見て来れ」というような勅諚ちょくじょうの下に東北の方に追いやられ、仙台近くの笠島かさしまという処まで行って
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
弘庵の罪状は紀伊家の用達世古格太郎に書面を送り水戸家に下賜せられた攘夷の勅諚ちょくじょうは偽書であるが如き風説をなして人心を騒し、かつまた
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その後の帝紀御撰述、諡号しごう御定め等、勅諚ちょくじょうにて学習院に抑付おおせつけられたき事なり。もっともこれは書籍と人物と大いに学習院に集りたる上の事なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「伯爵、あなたを捕縛はいたしません。国外追放の勅諚ちょくじょうが、出ております。我々の処置に従って、穏やかに御退去下さればそれでよろしいのです」
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
仰せを受けた仲兼は、安倍泰親のもとへ急いだが、折悪しく家におらず、白川まで赴いて法皇の勅諚ちょくじょうを伝えた。
討幕派の勢力は京都から退いて、公武合体派がそれにかわった。大和行幸の議はくつがえされて、いまだ攘夷親征の機会でないとの勅諚ちょくじょうがそれにかわった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ところが畜生に、国を遣っても仕方がないから智馬を施主として大いに施行し、七日の間人民どもの欲しい物を好みのままに与うべしと勅諚ちょくじょう無遮むしゃ大会だいえを催した。
またひょうとして去るといった風なのを——近ごろ、北条高時の生母覚海かくかい夫人が、やっと捜し求めて鎌倉にしょうじ、それでしばらくは、ここにとどまっているものの、都からも、勅諚ちょくじょう再々で
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
去年勅諚ちょくじょう綸旨りんし等の事一てつすといえども、尊皇攘夷いやしくもむべきに非ざれば、また善術を設け前緒を継紹けいしょうせずんばあるべからず。京師学校の論また奇ならずや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
京都からの使者として、松浦という目付役が勅諚ちょくじょうを持参したのだ。その時、はじめて駿河は外国条約の勅許が出たことを知り、前の夜に禁中では大評定のあったことをも知った。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「かねてのさだめどおり、勅諚ちょくじょうを奉じて、いよいよ新田殿のお旗上げなるぞ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは畢竟ひっきょう皇妹を人質にして外国交易の勅諚ちょくじょうを強請する手段であり、もしそれもかなわなかったら帝の御譲位をすらはかろうとする心底であって、実に徳川将軍を不義に引き入れ
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
正直一徹で聞こえた大原三位重徳おおはらさんみしげとみなぞは、一度は恐縮し、一度は赤面した。先年の勅使が関東下向げこう勅諚ちょくじょうもあるにはあったが、もっぱら鎖攘さじょう(鎖港攘夷の略)の国是こくぜであったからで。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いったん決心した将軍の辞職も、それを喜ぶ臣下の者はすくなかったために、御沙汰ごさたに及ばれがたしとの勅諚ちょくじょうを拝して、またまた思いとどまるやら、将軍家の威信もさんざんに見えて来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)