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勅諚
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ちょくじょう
ふりがな文庫
“
勅諚
(
ちょくじょう
)” の例文
宮中で物争いをしたために「歌枕見て来れ」というような
勅諚
(
ちょくじょう
)
の下に東北の方に追いやられ、仙台近くの
笠島
(
かさしま
)
という処まで行って
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
弘庵の罪状は紀伊家の用達世古格太郎に書面を送り水戸家に下賜せられた攘夷の
勅諚
(
ちょくじょう
)
は偽書であるが如き風説をなして人心を騒し、かつまた
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
その後の帝紀御撰述、
諡号
(
しごう
)
御定め等、
勅諚
(
ちょくじょう
)
にて学習院に
抑付
(
おおせつ
)
けられたき事なり。
尤
(
もっと
)
もこれは書籍と人物と大いに学習院に集りたる上の事なり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
「伯爵、あなたを捕縛はいたしません。国外追放の
勅諚
(
ちょくじょう
)
が、出ております。我々の処置に従って、穏やかに御退去下さればそれでよろしいのです」
グリュックスブルグ王室異聞
(新字新仮名)
/
橘外男
(著)
仰せを受けた仲兼は、安倍泰親のもとへ急いだが、折悪しく家におらず、白川まで赴いて法皇の
勅諚
(
ちょくじょう
)
を伝えた。
現代語訳 平家物語:04 第四巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
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討幕派の勢力は京都から退いて、公武合体派がそれにかわった。大和行幸の議はくつがえされて、いまだ攘夷親征の機会でないとの
勅諚
(
ちょくじょう
)
がそれにかわった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ところが畜生に、国を遣っても仕方がないから智馬を施主として大いに施行し、七日の間人民どもの欲しい物を好みの
任
(
まま
)
に与うべしと
勅諚
(
ちょくじょう
)
で
無遮
(
むしゃ
)
大会
(
だいえ
)
を催した。
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
また
飄
(
ひょう
)
として去るといった風なのを——近ごろ、北条高時の生母
覚海
(
かくかい
)
夫人が、やっと捜し求めて鎌倉に
請
(
しょう
)
じ、それでしばらくは、ここに
留
(
とど
)
まっているものの、都からも、
勅諚
(
ちょくじょう
)
再々で
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
去年
勅諚
(
ちょくじょう
)
綸旨
(
りんし
)
等の事一
趺
(
てつ
)
すといえども、尊皇攘夷
苟
(
いやし
)
くも
已
(
や
)
むべきに非ざれば、また善術を設け前緒を
継紹
(
けいしょう
)
せずんばあるべからず。京師学校の論また奇ならずや。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
京都からの使者として、松浦という目付役が
勅諚
(
ちょくじょう
)
を持参したのだ。その時、はじめて駿河は外国条約の勅許が出たことを知り、前の夜に禁中では大評定のあったことをも知った。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「かねてのさだめどおり、
勅諚
(
ちょくじょう
)
を奉じて、いよいよ新田殿のお旗上げなるぞ」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これは
畢竟
(
ひっきょう
)
皇妹を人質にして外国交易の
勅諚
(
ちょくじょう
)
を強請する手段であり、もしそれもかなわなかったら帝の御譲位をすら
謀
(
はか
)
ろうとする心底であって、実に徳川将軍を不義に引き入れ
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
正直一徹で聞こえた
大原三位重徳
(
おおはらさんみしげとみ
)
なぞは、一度は恐縮し、一度は赤面した。先年の勅使が関東
下向
(
げこう
)
は
勅諚
(
ちょくじょう
)
もあるにはあったが、もっぱら
鎖攘
(
さじょう
)
(鎖港攘夷の略)の
国是
(
こくぜ
)
であったからで。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
いったん決心した将軍の辞職も、それを喜ぶ臣下の者はすくなかったために、
御沙汰
(
ごさた
)
に及ばれがたしとの
勅諚
(
ちょくじょう
)
を拝して、またまた思いとどまるやら、将軍家の威信もさんざんに見えて来た。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“勅諚”の意味
《名詞》
天子(天皇)の言葉。みことのり。
(出典:Wiktionary)
勅
常用漢字
中学
部首:⼒
9画
諚
漢検1級
部首:⾔
15画
“勅”で始まる語句
勅
勅使
勅勘
勅命
勅撰集
勅任
勅許
勅令
勅撰
勅旨