八幡船ばはんせん)” の例文
この利慾のふかい武士へ、伊那丸いなまるというえさをもってりにきたのは、いうまでもなく、武士にけているが、八幡船ばはんせん龍巻たつまきであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
倭寇わこう八幡船ばはんせん胡蝶軍こちょうぐん、名こそ様々に呼ばれてはおれ、支那シナ高麗こうらいに押し寄せて、武威を揮う大船隊、その船隊の頭領として
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
倭寇と云ふのは、支那人が付けた名で、日本人自身は八幡船ばはんせんと云つた。八幡大菩薩の船旗を掲げたからである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
伝説によれば、そこは昔、八幡船ばはんせんの海賊共の根拠地であった相だ。僕が、暗号文が財宝の隠し場所を
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
八幡船ばはんせんの子孫(日本)が強いか。海賊バイキングの息子(A国)が強いか。——日本海軍よ。今に見ろ!」
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
例の八幡船ばはんせんという、半分は海賊みたいな、半分は貿易をやるような船に乗りこみまして、シナへ這入りこんでいってニンポーという所でシナ人に殺されたという記録が残っております。
かの八幡船ばはんせんといい、胡蝶軍と呼ばるるのが即ちそれである。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから五六百年ほどして、八幡船ばはんせんがあらわれた。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
白浪はくろうをかんで、満々まんまんを張ってきた八幡船ばはんせんの上では多くの手下どもが、あけぼのの空をあおいで、しおなりのようにおどろき叫んでいた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「オオあの船こそ、めったに正体を見せぬ八幡船ばはんせんだ。して、小船にのこしたというのはだれだ。そのしだいによっては、待ってもくれよう」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の衆はみな若い頃には、八幡船ばはんせんとかいう船に乗って、明国みんこくから南蛮へまで押し渡ったものじゃそうな」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八幡船ばはんせんなるものに乗りこんで、海濤万里かいとうばんりをものともせず、南の島々から大明だいみんの沿海はいうに及ばず、揚子江は鱖魚けつぎょのごとく千里をさかのぼり、高麗の辺境までも鯨遊げいゆうして、半生
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)