なろ)” の例文
かくて高野山に到着、青巌寺を仮の住まいと定め、剃髪ていはつ染衣の身となって道意禅門と号したが、お供の人々も皆これになろうてもとゞりを切った。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
のこの地に進入せしは勇敢なる冒険家諸士になろうて、探検の功を全うし、広く世界の文明に資せんとの大志願ありしに非ず。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
種々伝説を造って凡衆をたぶらかしたのだろう、かようの次第で三井の鐘が大当りと来たので、これになろうて他にも類似の伝説附の鐘が出て来たは
その九市が、また、碌なもんじゃなか。若い癖して、鬼高利貸になって、こいつも、親父になろうて、妾を持っちょるちゅう話じゃ。なんでもよか。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
蒲衣子ほいし庵室あんしつは、変わった道場である。わずか四、五人しか弟子はいないが、彼らはいずれも師の歩みになろうて、自然の秘鑰ひやくを探究する者どもであった。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「彼の剣は、わしの本意でない。柳生流の剣の一面を具現した強さにすぎぬ。五郎右衛門になろうてはならぬ」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「御成敗式目」とは「貞永じょうえい式目」になろうた後ちの称呼らしい。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
「深き夜のみ山隠れのとのゐ猿ひとり音なふ声の淋しさ」などわが邦の名歌は多く支那の猿の詩になろうたものじゃ。
... 私は及ばずながら善財童子の跡になろうてこの修行に出掛けてかくもお尋ね致した訳でござる」とこういうと「私の衆生済度しゅじょうさいど方便ほうべんは唯一である。その唯一の方法は大解脱経だいげだつきょうというお経に依ってやって居るのである。」
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
わが朝またこれになろうて、正月七日二十一疋の白馬を引かれ、元の世祖は元日に一県ごとに八十一疋の白馬をたてまつらしめ、その総数十万疋を越えたという。
諸神なろうてまた泣く時、ヴィシュヌ大神金翅鳥こんじちょうに乗りてブシュパブハドラ河へ飛びゆき、睡り象の頭を切り、持ち来り、ガネサの頭に継いでよりこの神今に象頭だ。
上に引いたコンウェイの言になろうていえば、拝猴教が二の宮宗に、二の宮宗が一層新米の両部神道にあわされ、最旧教の本尊たりし猴神は記紀の猿田彦と同一視され
それから『長崎虫眼鏡』下に、元禄五年の春より唐人オランダのほかは豕鶏等食する事を停めらるとあれば、それ以前開港地では邦人も外客になろうて豕を食ったのだ。
そこに書き洩らしたが加藤雀庵の『さえずり草』の虫の夢の巻に、千住の飛鳥あすかの社頭で毎年四月八日に疫癘えきれいはらう符というを出すに、桃の木で作れり、支那になろうたのだろうとある。
王ついにイゲルナをめとり、これもほどなく戦死、アーサーぎ立て武名を轟かせしが、父になろうてかつねに竜をった金の兜を着けたとあれば、英国でも竜を兜に飾った例は、五
その文を見ると、『管子』に見えた禹建鼓けんこを朝に立て、訊望に備えたをなろうたらしい。
御者がいつもこうして燕麦を出しくれるを見置き夜食欲しきごとにこれになろうたんだ。