旧字:云爲
今日のカサルスに対して、「衰え」とか「老い」とかを云為する人があったとしたならば、それは自ら音痴を告白するものである。
それ以外に奈良原翁の人格を云為するものは皆、痩犬の遠吠えに過ぎなかった事実を見ても、容易に想像出来るであろう。
しかし因果律の解釈や、認識論学者の取扱うごとき問題は、余のここに云為すべき所にあらず。ただ物理学上の立場より卑近なる考察を試むべし。
これはなにも某名家の訳そのものを云為したのでも何でもない。世の飜訳というもののどうにもならぬ運命を、はかない皮肉に託して述べただけの話である。
が、かく命令や意志を云為するからと言って「天」を人格的なるものとして考えたというわけでもない。