“とうえん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
桃園30.8%
東園7.7%
東垣7.7%
東椽7.7%
東猿7.7%
東簷7.7%
灯焔7.7%
董園7.7%
豆園7.7%
陶園7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
貴公にしょくするほか他に人はない。むかし、桃園とうえんを、ここに思い、この難役に当ってくれい
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文状ふじょうは、どこへ置いてじゃ」東園とうえんの広い梅林に向っている一室へ出てきて、月輪殿は、眼をしばたたいた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして我国の学者は東垣とうえんの『食物本草しょくもつほんぞう』にある裙帯菜クンタイサイをワカメだとし前の村田氏の『鮮満植物字彙』にもそうしているが、これは間違いでこの裙帯菜はけっしてワカメそのものではなく
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
恋しき日やさもらひなれし東椽とうえんの隅のはしらにおもかげ立たむ
恋衣 (新字旧仮名) / 山川登美子増田雅子与謝野晶子(著)
その当時の大阪は摂津大掾せっつだいじょうがまだ越路こしじの名で旭日あさひの登るような勢いであり、そのほかに弥津やつ太夫、大隅おおすみ太夫、呂太夫の錚々そうそうたるがあり、女義には東猿とうえん末虎すえとら長広ながひろ照玉てるぎょくと堂々と立者たてものそろっていた。
豊竹呂昇 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
『輟耕録』二四にかつて松江鍾山の浄行菴に至って、一の雄鶏を籠にして殿の東簷とうえんに置くを見てその故を請い問う。寺僧いわく、これをうて以てしんつかさどらしむ。
(たとえば、灯焔とうえんは刹那に滅すといえども、しかもよく相続して余方に転じ至るがごとし。諸蘊しょうんもまたしかり)とあり。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
本年十月三日枕山先生、昆渓翁、雪江、蘆洲、柳圃りゅうほ董園とうえんノ諸先輩及釈智仙、琴抱ノ二師ト同ジク有明楼ニ会シともニ絶筆ノ韻ヲ次ギ鵞湖がこ画ク所ノ肖像一幅ヲ壁間ニケ酒肉ヲ供ヘテ奠儀てんぎヲ行フ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すこぶる爽快を覚ゆると共にいよいよ老来の嘆あり。たまたま思出るは家府君かふくん禾原かげん先生の初て老眼鏡を掛けられし頃の事なり。時に一家湘南の別墅べっしょ豆園とうえんにありき。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ゆず子が浸礼しんれいを受けた、あの年の四月七日も、霜柱の立つ寒い春だったなどと考えているところへ、伊沢陶園とうえんの伊沢忠がすんのつまったモーニングを着こみ、下っ腹を突きだしながらやってきた。
春雪 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)