“しゅうこう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
衆口26.1%
舟行21.7%
周公8.7%
秋江8.7%
醜行8.7%
周交4.3%
周暠4.3%
秋公4.3%
秋昊4.3%
秋皐4.3%
襲攻4.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
だが藤吉郎は、そんな衆口しゅうこうのよしあしなどはどうでもよい。彼としてはまず第一に中村の母へこの由を報じてやった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
都多つたの細江」は姫路から西南、現在の津田・細江あたりで、船場川せんばがわの川口になっている。当時はなるべく陸近く舟行しゅうこうし、少し風が荒いと船をめたので、こういう歌がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
はなはだしいかな、おとろえたるや。ひさしくゆめにだも周公しゅうこうず」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
日本の作家で、ほんとうの女を描いているのは、秋江しゅうこうであろう。秋江に出て来る女は、甚だつまらない。「へえ。」とか、「そうねえ。」とかつぶやいているばかりで、思索的でないこと、おびただしい。
女人創造 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もし、為すことを為さずに終ったら、伏見がよいも、祇園遊蕩ぎおんあそびも、すべて、蕩児とうじ極道事ごくどうごとに帰するのだ。今日までのあらゆる事々、皆、虚偽きょぎ醜行しゅうこうの履歴でないものはなくなるのだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天祐丙子てんゆうひのえねの年、浙西せっせいの軍士周交しゅうこうが乱をおこして、大将の秦進忠しんしんちゅうをはじめ、張胤ちょういんら十数人を殺しました。
ひとりは鹿苑寺ろくおんじ周暠しゅうこうで、これも三好、松永の党に殺された。もう一名は、南都一乗院いちじょういん門主もんずをしていた覚慶かくけいである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
死んだ山川の父は、「百花村」の秋公しゅうこうのような花好きで、池のみぎわに紫菀を植え、中門の楯に紫菀園という朽木の額をあげていた。シヲンヱンではない。
蝶の絵 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
彼らは今や秋昊しゅうこうに横う孤鶴にあらず、鉄網に悲鳴する痴雞ちけいとなれり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
同行の麗水れいすい秋皐しゅうこう両君と一緒に、見物人を掻き分けて臆面もなしに前へ出ると、神楽は今や最中さなかであった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
故に、呉の態勢はきょです。蜀の襲攻しゅうこうは実です。まずもって、実に全力をそそぎ、後、虚を始末すればよろしいでしょう
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)