開国かいこく)” の例文
木村芥舟先生は旧幕府きゅうばくふ旗下きかの士にして摂津守せっつのかみと称し時の軍艦奉行ぐんかんぶぎょうたり。すなわち我開国かいこくの後、徳川政府にてあらた編製へんせいしたる海軍の長官ちょうかんなり。
小栗の人物じんぶつは右のごとしとして、さて当時の外国人は日本国をいかに見たるやというに、そもそもの米国の使節しせつペルリが渡来とらいして開国かいこくうながしたる最初さいしょの目的は
嘉永かえい六(一八五三)ねんの六がつに、アメリカからペリーがやってきて、開国かいこくをせまったことは、まえにかいておきましたが——幕府ばくふは、一ねんのちに神奈川かながわ(いまの横浜よこはま)で
ところが、それだけでは、日本にっぽんをほんとうに開国かいこくさせたということにならないので、アメリカは、ぜひ、修好通商条約しゅうこうつうしょうじょうやく商売しょうばいのとりきめ)をむすぼうとかんがえるようになりました。
このとしの三がつ三日みっかには、桜田門外さくらだもんがいで、水戸みと浪士ろうし主人しゅじんをもたないさむらい)が、幕府ばくふ開国かいこくしたことをおこって、そのせきにんしゃである大老たいろう井伊直弼いいなおすけをおそうというじけんまでありました。