銭塘せんとう)” の例文
銭塘せんとう杜子恭としきょうは秘術を知っていた。かつて或る人から瓜をく刀を借りたので、その持ち主が返してくれと催促すると、彼は答えた。
南昌なんしょう彭徳孚ほうとくふという秀才があった。色の白い面長な顔をした男であったが、ある時、銭塘せんとうにいる友人を訪ねて行って、昭慶寺しょうけいじという寺へ下宿していた。
荷花公主 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
わたくしは、幼少のとき、父母に早くわかれ、弟の呉景ごけいと、銭塘せんとうへ移って暮しているうち、亡きつまの孫堅に嫁したのでした。そして四人の子を生んだ。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし銭塘せんとう瞿祐くゆうは勿論、趙生ちょうせいなぞの友人たちも、王生おうせい夫婦をせた舟が、渭塘いとう酒家しゅかを離れた時、彼が少女と交換した、しものような会話を知らなかった。
奇遇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
銭塘せんとうの大潮は、さすがに少し興奮しますが、あとは、だめです。僕は、あの人たちを信用していないのです。あの人たちは、あなたの国でいう道楽者と同じです。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
で、珊珊をれて赴任したが、非常に成績があがったので、翌年には銭塘せんとうの太守となった。そうなると、焦生のもとへはたくさんの客がくるようになった。
虎媛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
輔国ほこく大将軍平北都へいほくと元帥に封ぜられた陸遜りくそんは、呉郡の朱桓しゅかん銭塘せんとう全琮ぜんそうを左右の都督となし、江南八十一州の精兵を擁して、三道三手にわかれて北上した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
銭塘せんとうという人が船に乗って行った。時は雪の降りしきる夕暮れである。白い着物をきた一人の若い女が岸の上を来かかったので、杜は船中から声をかけた。
趙生はこう遇う人毎ひとごとに、王生の話を吹聴ふいちょうした。最後にその話が伝わったのは、銭塘せんとうの文人瞿祐くゆうである。瞿祐はすぐにこの話から、美しい渭塘奇遇記いとうきぐうきを書いた。……
奇遇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「あんな大きな声をしては、銭塘せんとうへ知れる、何人だれか早く宮中へ行って、大きな声を出さないように言ってこい」
柳毅伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
孫堅は父に伴われて、銭塘せんとう地方へ旅行したことがある。当時、銭塘地方の港場は、海賊の横行おうこうが甚だしくて、その害をこうむる旅船や旅客は数知れないくらいだった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この作者はしん袁枚えんばいで、あざな子才しさいといい、号を簡斎かんさいといいまして、銭塘せんとうの人、乾隆けんりゅう年間の進士しんしで、各地方の知県をつとめて評判のよかった人でありますが、年四十にして官途を辞し
彼は天水の生れで、遊学のために銭塘せんとうに来て、この西湖葛嶺かつれいの麓に住んでいる者であった。その隣になった荒廃した地所はもと宋の丞相賈秋壑こしゅうがくが住んでいた所である。
緑衣人伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)