采地さいち)” の例文
首尾しゅびよく、わしぬすみのはなれわざをやりとげて、飛行天行ひこうてんこうかいをほしいままに、たちまちきたのは家康いえやす采地さいち浜松の城下。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その邸宅は、ヴィレル修道院に第六の采地さいちを寄進したあのソムレル侯ユーゴーによって建てられたものだった。
實收三萬石の采地さいちである。利章は勿論もちろん、一成も内藏允も井上内記も、十太夫がいかに御用に立つとは云へ、節目のないものを家老にせられるのは好くあるまいと云つたが、忠之は聽かなかつた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
とりわけ当所は、以前から松永弾正だんじょう殿の奉行する采地さいち。町民も協力して侵略者に当り、たとえ尺地寸財たりとも、賊に利すような行為をしてはならない。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊豆塚本に采地さいちを授けらる。大阪陣の時、越後柏崎の城を守る。後尾張侯に仕へ、嫡子をして家をがしむ。名古屋白壁町の大塩氏は其後なり。波右衛門の末子ばつし大阪に入り、町奉行組与力となる。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
フランスの最も富裕な采地さいちの領主であった彼は、スウィスにおいては食に代えるために古い馬を売り払った。ライヘナウにおいては、自ら数学の教授をし、一方妹のアデライドは刺繍ししゅうをし裁縫をした。
「早く参って、新規御加増の采地さいちは、どこの村か、どこを境とするか、よく地方じかたのお指図をうけたまわって、戴いたものは戴いたようにしておかねばいかんじゃないか」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
梁田やなだ弥二右衛門政綱まさつなに、沓掛城くつかけじょう三千貫の采地さいちを与う——という賞賜しょうしを筆頭に、服部小平太、毛利新助など、約百二十余名への賞賜を、信長は、口頭でいって、それを佐渡と修理に記録させた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、慇懃いんぎんに、ろくを送り、その采地さいちへ、彼をいざなって来たのであるが——鹿之介の本意なさは、いうまでもない。悶々もんもん、この先の機会を、いつに待つべきか、心はそれにとらわれがちであったのである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)