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遺子
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わすれがたみ
ふりがな文庫
“
遺子
(
わすれがたみ
)” の例文
「そうそう、あの折、六条の
頭殿
(
こうのとの
)
の
遺子
(
わすれがたみ
)
という幼な子が、
粟田口
(
あわたぐち
)
から
押立
(
おったて
)
の役人衆にかこまれて、伊豆の国とやらへ流されて行った——」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
然るのち、
遺子
(
わすれがたみ
)
の真与太郎をも殺害せんとするので前非を悔いた正介はこの子を連れて出奔し、のち乳房榎の前において五歳の真与太郎が立派に親の仇を討ち果す。
我が円朝研究:「怪談牡丹灯籠」「江島屋騒動」「怪談乳房榎」「文七元結」「真景累ヶ淵」について
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
その高坂弾正に一人の
遺子
(
わすれがたみ
)
がありました。
大菩薩峠:19 小名路の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
ほかでもないが、それは貴方の奥方の以前の子——つまり義朝の
遺子
(
わすれがたみ
)
のひとりで、鞍馬へ
上
(
のぼ
)
せてある末子があったでござろう。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それと、鞍馬寺にある亡主義朝の
遺子
(
わすれがたみ
)
牛若を、よそながら護り、よそながら教育し、やがての事は、その牛若の成人の日として待っているのである。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
「そうそう。そのような噂を耳にしたこともあったが、郷里の皆の衆にも疎遠にすぎて申しわけない。——では、それなる
童
(
わらべ
)
は、弾正どのの
遺子
(
わすれがたみ
)
か」
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すべて故正成の
遺子
(
わすれがたみ
)
、
楠木正行
(
くすのきまさつら
)
の行動にあたるためだった。しかも山名、細川の大軍も、天王寺附近で大敗北を喫し、都の
年暮
(
くれ
)
は騒然たるものに変っていた。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お覚えがあってか——その昔は
成田兵衛
(
なりたのひょうえ
)
の
遺子
(
わすれがたみ
)
——
寿童丸
(
じゅどうまる
)
といわれた者。アア、消え入りたい心地がする。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
忍剣はもと、
今川義元
(
いまがわよしもと
)
の
幕下
(
ばっか
)
で、海道一のもののふといわれた、
加賀見能登守
(
かがみのとのかみ
)
その人の
遺子
(
わすれがたみ
)
であるのだ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(自分は、戦は好まぬが、故右大臣家(信長)の
遺子
(
わすれがたみ
)
たるこの
御方
(
おんかた
)
のため、義に依って、戦うのである)
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここに、呉の
長沙
(
ちょうさ
)
の太守
孫堅
(
そんけん
)
の
遺子
(
わすれがたみ
)
孫策
(
そんさく
)
も、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お駒とお由利は、
由緒
(
ゆいしょ
)
ある大家の
息女
(
むすめ
)
だった。ここ数年間に、
取潰
(
とりつぶ
)
された犠牲大名のうちの一家、加藤忠広の家老加藤淡路守の
遺子
(
わすれがたみ
)
で——先に死んだ綾部大機は、忠義無類なその家来であった。
柳生月影抄
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北条時行(亡き高時の
遺子
(
わすれがたみ
)
)は、そのご、勅免となって、伊豆にいたので、顕家の南下に
呼応
(
こおう
)
して、箱根に旗を上げ、また、新田義興(当年、まだ二歳の徳寿丸)は、新田党の郷土、
上野
(
こうずけ
)
を出て
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その間には内々、足利方からもずいぶん誘惑もあったろうに、幾人もの
遺子
(
わすれがたみ
)
を守り育てて、
今日
(
こんにち
)
、吉野のみかどへ、それらのわが子をささげてまいるなどは、よほどな女性でなければできぬことだ。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「義朝の
遺子
(
わすれがたみ
)
——幼名牛若ともうす稚子です」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“遺子”の意味
《名詞》
養育する親の死後に残された子供。遺児。
(出典:Wiktionary)
遺
常用漢字
小6
部首:⾡
15画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
“遺”で始まる語句
遺
遺憾
遺骸
遺書
遺物
遺言
遺恨
遺品
遺跡
遺漏