脊梁せきりょう)” の例文
そして美作境へ向っても、山陽道へ出ても、それから先は、一路出雲まで中国山脈の脊梁せきりょうと聞く、その山波が、誰の旅寝の夢にもあった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、陸上には脊梁せきりょう山脈がそびえている。
涼味数題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼の村は、山陽道と山陰道を分ける中国の脊梁せきりょう山脈の北側に、熊笹くまざさを背に、岩に腰をおろしてもたれかかっているような、人煙まれな険阻けんそな寒村であった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
武家の棟梁とその家人との関係が、全国的な武士階級の組織の脊梁せきりょうであった。そうして初めは、彼らの武力による治安維持の努力が実際に目に見える功績であった。
一線をかぎった、その境目から下は灰色で、上は黯緑だ、黯縁の偃松は、山の峰へ峰へと、岩石を乗り越え、岩壁の筋目へと喰い入り、剃刀のような脊梁せきりょうを這って、天の一方へと
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
なだらかな胆吹尾根から近江の湖面を眺めやった時——壺中の白骨しらほねの天地から時あって頭を出して、日本の脊梁せきりょうであるところの北アルプスの本場をお雪ちゃんは眺めあかしておりました。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それから向うは出羽奥羽の脊梁せきりょう山脉に限られ、北には岩出山の城、東北には新田の城、宮沢の城、高清水の城、其奥に弱い味方の木村父子が居るがそれは一揆いっきが囲んでいる、東には古川城
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しかも、それでいてその位置はというと、確かに、北海道の脊梁せきりょう山脈の中でも、人跡未踏の神秘境に相違ないのだから、その一軒家が何人なんぴとの住家であろうかは、容易に推測されない訳である。
キチガイ地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
露営地とそちらとのあいだには、岳樺たけかんばの低い林があった。そのほうの傾斜の急な細路は、露にぬれた草で蔽われていた。林の下生えの草は、雨のあとのようだ。林を抜けると、すぐに山の脊梁せきりょうである。
烏帽子岳の頂上 (新字新仮名) / 窪田空穂(著)
三道の軍は、近江伊勢の脊梁せきりょう山脈をこえて、やがて南降を示し、かねての作戦にもとづいて、目標の桑名、長島附近に合流した。滝川一益はここにいる。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらにまたこの海峡の西側に比べると東側の山脈の脊梁せきりょうは明らかに百メートルほどを沈下し、その上に、南のほうに数百メートルもずれ動いたものである事がわかる。
怪異考 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それに城内でもここの位置は最も高いので、中国山脈の脊梁せきりょうから吹いてくるそよ風がびんや、ふところなぶって、一刻の午睡ひるねをむさぼるにはまことに絶好な場所だった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
現今の青海省地方——いわゆる欧州と東洋との大陸的境界の脊梁せきりょうをなす大高原地帯——の西蔵チベット人種と蒙古民族との混合体よりなる一王国をさしていっていたものかと考えられる。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
倶利伽羅くりからけんを中心とする山また山は、加能越かのうえつ三ヵ国の境をなす北陸の脊梁せきりょうである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、加能越の脊梁せきりょう山脈たるや一通ひととおりな難所ではないのだ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)