胡地こち)” の例文
徒歩のみによる行軍の速度と、人力による車の牽引けんいん力と、冬へかけての胡地こちの気候とを考えれば、これは誰にも明らかであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
王昭君のお伽衆として、私が胡地こちへ旅立ったのは、元帝の竟寧きょうねい元年であった。
沙漠の美姫 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
また元帝が王昭君おうしょうくん胡地こちへ送ったはなしも有名なものではありませんか。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝廷ていもとむることみつなれば、帝深くひそみてでず。このとし傅安ふあんちょうに帰る。安の胡地こち歴游れきゆうする数万里、域外にとどまるほとんど二十年、著す所西遊勝覧詩せいゆうしょうらんしあり、後の好事こうずの者の喜び読むところとなる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
指南車を胡地こちに引き去るかすみかな
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
(無理でも、もう少し早くかねての計画——単于ぜんうの首でも持って胡地こちを脱するという——を実行すればよかったという悔いを除いては、)
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
このとし永楽帝は去年丘福きゅうふく漠北ばくほくに失えるを以て北京ほくけいを発して胡地こちに入り、本雅失里ベンヤシリ(Benyashili)阿魯台アルタイ(Altai)と戦いて勝ち、擒狐山きんこざん清流泉せいりゅうせんの二処に銘をろくして還りたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
指南車を胡地こちに引き去るかすみかな
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
十九年前蘇武に従って胡地こちに来た常恵じょうけいという者が漢使にって蘇武の生存を知らせ、このうそをもって救出すくいだすように教えたのであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)