綸言りんげん)” の例文
と、さいごの綸言りんげんを残され、そして左の御手に、法華経ノ第五巻を持ち、右の御手には御剣ぎょけんを抱いて、おかくれになったとしている。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ああ、ことによったら、『すべてが許されてる』かもしれないよ。綸言りんげん汗のごとしさ、それにミーチカのこじつけもなかなかうまいぞ」
申し継ける間、綸言りんげん朝に変じ夕に改まり、諸人の浮沈掌を返すが如し。
中納言家には御存じゆゑ斯樣かやうに仰上られしものなるべし此時このとき將軍には御不審の體にて御在おはしますにぞ又申上らるゝ樣はかの綸言りんげんあせの如しまた武士ぶしに二言なしとか君のお目鏡めがねにて名奉行と仰せられ候越前天下の御ため
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
綸言りんげんは重いもので、授けた物に相違はないが
西 綸言りんげん汗の如し
東西伊呂波短歌評釈 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
きびしい綸言りんげんであった。いや、あらあらしい男性的なご態度で、いつもの“姉さん女房”廉子にたいするものではなかった。
蜀帝の力ある玉音は群臣のうえにこうせんした。朝に侍す百官は粛として咳声がいせいもない。綸言りんげんあに疑義ぎぎあらんやと人はみな耀かがやく目を以て答え、血のさしのぼる面をもって決意をあらわしていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勅使は、綸言りんげんを伝えていう。今日の事、叡覧えいらんあって龍顔りゅうがん殊のほか御うるわしく、上古末代の見もの、本朝のみか、異国にもかほどのさまはあるべからずとのたまわせ、斜めならぬ御気色みけしきに仰がれた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
綸言りんげんひとたび発して、国禅くにゆずりの大事をご承認なされたものの、帝はなお御涙おんなみだにくるるのみであったが、賈詡はたちまち桓楷かんかい、陳群などを呼んで、ほとんど、強制的に禅国ぜんこくの詔書を作らせ、即座に
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「正成を連れまいれ!」とは綸言りんげんなのだ。笠置城の浮沈でもある。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)