筑前守ちくぜんのかみ)” の例文
左衛門の乳母は今は筑前守ちくぜんのかみと結婚していて、九州へ行ってしまったので、父である兵部大輔の家を実家として女官を勤めているのである。
源氏物語:06 末摘花 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「やがてこの筑前守ちくぜんのかみ伊勢いせ滝川たきがわ攻めじゃ、この用意のなか、死んだ勝頼をさがしているひまな郎党ろうどうはもたぬ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次にその北の方と云うのは、筑前守ちくぜんのかみ在原棟梁むねやなむすめであるから、在五中将業平の孫に当る訳であるが、此の夫人の正確な年齢は、ほんとうのところよく分らない。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
併し量長は山陵の事に就て格別知識があつた訳ではないらしい。山陵の事に関しては専らその下僚たる大和介やまとのすけ谷森種松と筑前守ちくぜんのかみ鈴鹿勝芸との両人に打ちまかしたやうである。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
かちつたる秀吉ひでよし一騎驅いつきがけにうませると、こしよりさいいだし、さらりとつて、れは筑前守ちくぜんのかみぞや、又左またざ又左またざ鐵砲てつぱうつなと、大手おほて城門じやうもんひらかせた、大閤たいかふ大得意だいとくい場所ばしよだが
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
塁濠るいごう宏大こうだい、天主や楼閣ろうかくのけっこうさ、さすがに、秀吉ひでよしを成りあがりものと見くだして、大徳寺では、筑前守ちくぜんのかみに足をもませたと、うそにも、いわれるほどなものはある。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
というのであって、子の筑前守ちくぜんのかみが使いに行ったのである。源氏が蔵人くろうどに推薦して引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「やあ、別所どのの御家老、後藤基国どのとは、あなたでござったか。黒田官兵衛です。お使いに参りました。筑前守ちくぜんのかみ秀吉の代人として。——やあ、方々には、おそろいでお迎え、恐縮です」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)