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稲村
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いなむら
ふりがな文庫
“
稲村
(
いなむら
)” の例文
江の島の
聖天島
(
しょうてんじま
)
と
稲村
(
いなむら
)
ヶ崎を底辺にする、正三角形の頂点で
錨
(
いかり
)
をおろし、二時間ほどそこに停っていて、それからまたどこかへ行ってしまう。
キャラコさん:07 海の刷画
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
しかも、受けて立つ位置からみれば、北の山ノ内、仮粧坂の隘路、大手の浜道
稲村
(
いなむら
)
ヶ
崎
(
さき
)
、三方面どこも地の利は味方にある。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いつの間にか要太郎が見えなくなったと思うていると遥か向うの
稲村
(
いなむら
)
の影から招いている。汗をふきふきついて行った。道の上で稲を
扱
(
こ
)
いている。
鴫つき
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
帰りには
極楽寺
(
ごくらくじ
)
坂の下で二人とも車を捨てて海岸に出た。もう日は
稲村
(
いなむら
)
が
崎
(
さき
)
のほうに傾いて砂浜はやや暮れ
初
(
そ
)
めていた。
或る女:2(後編)
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
「いや、実は葉子さん、
貴女
(
あなた
)
が
稲村
(
いなむら
)
さんに
逢
(
あ
)
ってくれというもんだから、わざわざやって来たんですがね。」
仮装人物
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
▼ もっと見る
ニオはすなわち
稲村
(
いなむら
)
のこと、中央部でスズミともスズシともいうものと同じであって、この日新たにこれを積んで見るのは、秋の
豊饒
(
ほうじょう
)
を祝する意と思われるが
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
納豆のからの
苞苴
(
つと
)
が
稲村
(
いなむら
)
のようなかたちにつみあげられ、やがてそれが
焚附
(
たきつ
)
けにもちいられたということや、卒業間近くなって朝から夜まで通して練習のあったおりなど
松井須磨子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
話をしているうちに
偶然
(
ぐうぜん
)
、そのお嬢さんがぼくの育った
鎌倉
(
かまくら
)
の
稲村
(
いなむら
)
ヶ崎
(
さき
)
につい昨年
迄
(
まで
)
、おられたことが
解
(
わか
)
り、二人の間に、七里ヶ浜や
極楽寺
(
ごくらくじ
)
辺
(
あた
)
りの景色や土地の人の
噂
(
うわさ
)
などがはずみ
オリンポスの果実
(新字新仮名)
/
田中英光
(著)
本
(
もと
)
稲村
(
いなむら
)
氏で漁村の門人となり、後に養われて子となったのである。文政七年の
生
(
うまれ
)
で、抽斎の歿した時、三十五歳になっていた。栲窓は名を
直寛
(
ちょくかん
)
、
字
(
あざな
)
を
士栗
(
しりつ
)
という。通称は
安斎
(
あんさい
)
、
後
(
のち
)
父の称
安政
(
あんせい
)
を
襲
(
つ
)
いだ。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
稲村
(
いなむら
)
が崎 名将の
鎌倉
(新字新仮名)
/
芳賀矢一
(著)
稲村
(
いなむら
)
または
稲積
(
いなつみ
)
というものの各地の方言が数多く集められていた際に、中部以東の日本の広い地域に、現在なお行われているニホ・ニョウその他これに近い色々の名称は
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
稲村
(
いなむら
)
ヶ
崎
(
さき
)
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“稲村”の解説
稲村(いなむら)は、滋賀県愛知郡にあった村。現在の彦根市の南西部、琵琶湖沿岸にあたる。
(出典:Wikipedia)
稲
常用漢字
中学
部首:⽲
14画
村
常用漢字
小1
部首:⽊
7画
“稲村”で始まる語句
稲村勝之