神奈川かながわ)” の例文
とうとう、半蔵らの旅は深い藍色あいいろの海の見えるところまで行った。神奈川かながわから金沢かなざわへと進んで、横須賀行きの船の出る港まで行った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼の父は神奈川かながわにある店の近くにアトリエを建ててくれるはずだったが、彼女は物堅い旧家の雰囲気ふんいきのなかへ入って行くのをきらって
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
十二月三十一日、午前九時——全く、うまく行ったものだ——万寿丸は横浜港内深くはいって、ほとんど神奈川かながわ沖近くへ投錨とうびょうした。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
第一日が神奈川かながわ泊まり、第二日が藤沢ふじさわ、第三日が小田原、第四日に至って初めて箱根に入り込むというのであるから、往復だけでも七、八日はかかる。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
嘉永かえい六(一八五三)ねんの六がつに、アメリカからペリーがやってきて、開国かいこくをせまったことは、まえにかいておきましたが——幕府ばくふは、一ねんのちに神奈川かながわ(いまの横浜よこはま)で
「サア、……神奈川かながわで顔が合って、のんきに東海道をのぼろうと、マア、話しあいがついていっしょになっただけでね、どこの馬の骨だか、ハイ、あたしゃいっこうに——」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
いつ見ても新開地じみて見える神奈川かながわを過ぎて、汽車が横浜の停車場に近づいたころには、八時を過ぎた太陽の光が、紅葉坂もみじざかの桜並み木を黄色く見せるほどに暑く照らしていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
この条約によると、神奈川かながわ、長崎、函館はこだての三港を開き、新潟にいがたの港をも開き、文久二年十二月になって江戸、大坂、兵庫ひょうごを開くべき約束であった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
神奈川かながわ横浜よこはま)・長崎ながさき新潟にいがた兵庫ひょうご神戸こうべ)のみなとをひらくことがきめられました。
けさの諸新聞の神奈川かながわ版にも同様の記事が掲げられていたのを、私は思い出した。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三上は、伝馬を押して、一度神奈川かながわ沖まで出たが、また引きかえして、堀川ほりかわへはいった。彼は神奈川沖へ出た時に、伝馬にペンキで書かれてあった万寿丸を、シーナイフで削り取ってしまった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
えゝ、お連れさまは中津川の万屋よろずやさんたちで。あれは横浜貿易の始まった年でした。あの時は神奈川かながわ牡丹屋ぼたんやへも手前どもから御案内いたしましたっけ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
宮川寛斎みやがわかんさい万屋よろずやの主人と手代とを神奈川かながわに残して置いて帰国の途に上ったことは、早く美濃みのの方へ知れた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小田原おだわらから神奈川かながわの宿まで動いた時の東海道軍の前には、横浜居留民を保護するために各国連合で組織した警備兵があらわれたとある。外人はいろいろな難題を申し出た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
当日は神奈川かながわ辺の街道筋を出歩くなとは、かねて神奈川奉行から各国領事を通じて横浜居留の外国人へ通達してあったというが、その意味がよく徹底しなかったのであろう。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)