相国しょうこく)” の例文
なに、天下の相国しょうこくの寵愛を一身に集めたその時のわたくしたちの運勢で申しますと、こんなことは数にも入らないほどの仕事でございました。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
都に還ると、献帝けんていはいよいよ彼を怖れ給うて、自身、鸞輿らんよに召して、凱旋軍がいせんぐんを迎え、曹操を重んじて、漢の相国しょうこく蕭何しょうかの如くせよと仰せられた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの頼朝は、平治の乱における左馬頭義朝さまのかみよしとも謀叛むほんに依り、誅伐せらるべきのところを、入道相国しょうこくの大慈悲をもって助け置き下されたものであります。
(大司祭兼相国しょうこく登場。)
相国しょうこくがわたし達へ、延寿酒を贈られるわけはない。李儒、これが毒酒でないなら、そなたがまず先に飲んでお見せなさい」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
妙音院入道相国しょうこく(師長公)、叡山からは良宴法印、行智律師、仙雲律師、覚兼阿闍梨、重円大徳という顔触れ、三井みい園城寺おんじょうじからは道顕僧都、真賢阿闍梨、玄修阿闍梨、円隆阿闍梨
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「お人伝ひとづてには、ちと申し兼ねる大事です。相国しょうこく直々じきじきに、お会わせ下さるならば申しのべるし、さもなくば、このまま立ち戻る所存でござる」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八月、重盛の病がおもって、とうとう四十二で死んでから入道相国しょうこくのさしもの元気も、いたく衰えて来たかに見えた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われは漢の相国しょうこく曹参の末裔まつえいたり。——とは、曹操みずからの称えていたことだが、事実はだいぶ違うようである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新院大納言が、相国しょうこくに不満をいだいて、何やら密謀のあるらしい気配、く、それがしの主人成田兵衛が感づいて、あの衆の後を尾行つけよというおいいつけなのです。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われは沛国譙郡はいこくしょうぐん(安徽省・毫県)の生れで、曹操そうそうあざな孟徳もうとく小字こあざな阿瞞あまん、また吉利きつりともいう者です。すなわち漢の相国しょうこく曹参そうさんより二十四代の後胤こういんにして、大鴻臚たいこうろ曹崇そうすうが嫡男なり。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
董卓は自分を相国しょうこくに封じ、楊彪ようひょうを司徒とし、黄琬こうえんを太尉に、荀爽じゅんそうを司空に、韓馥かんふく冀州きしゅうの牧に、張資ちょうしを南陽の太守に——といったように、地方官の任命も輦下れんかの朝臣の登用も
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さわぐことはありません。相国しょうこく、ここの天嶮は、伏兵ふくへいをかくすに妙です」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相国しょうこく清盛に対して、瞋恚しんいを燃やしておらるるという噂がもっぱらにある。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操は相国しょうこく曹参そうさん後胤こういんで、累世るいせい四百年も漢室に仕えてその禄をみながら、いま漢室の衰えるを見るや、その恩を報ぜんとはせず、かえって、乱世の奸雄たる本質をあらわして簒虐さんぎゃくをたくらむ。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一門の公達きんだちがその風流やら芸事などを競いあって、入道相国しょうこく
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相国しょうこくはおいで遊ばされるか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)