煤掃すゝは)” の例文
いかに柏木一番の長者でも、差迫つて五千兩の工面は容易でないから、暮からこの春へかけて楢井家は毎日煤掃すゝはきのやうな騷ぎだ
助十 えゝ、おめえのやうな曳摺ひきずかゝあがによろによろしてゐたつて何の役に立つものか。よし原の煤掃すゝはきとは譯が違はあ。早く亭主をひき摺り出せといふのに……。
権三と助十 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
若「へい、誠に御迷惑な訳で、まるで煤掃すゝはき見たようで、畳を積み揚げて、御丁寧に其の上に布団を敷いて坐ってるんですぜ、天井へ頭がつかえて居りますので、誠に驚きました」
うちの中は区役所の出張員しゆつちやういん硫黄いわうの煙と石炭酸せきたんさんで消毒したあと、まるで煤掃すゝはきか引越ひつこしの時のやうな狼藉らうぜきに、丁度ちやうど人気ひとけのないさびしさを加へて、葬式さうしき棺桶くわんおけ送出おくりだしたあとと同じやうな心持こゝろもちである。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
間もなくバタバタ始まつたのは、平次の言ひつけ通り、老木屋の家の中から外へかけて、煤掃すゝはきほどの騷ぎが始まつた證據です。
車力しゃりき鳶のもの出方中でかたじゅう残らずで五両、其の外荷主様に戴いた御祝儀、煤掃すゝはき歳暮お年玉何やや残らず帳面に付けてある処を番頭に寄せてもらったら、丁度三百両になるが、微塵も積れば山だのう
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
町内の海老床の親方、喜八といふ剽輕男へうきんをとこが、下剃したぞりの周吉と一緒に、煤掃すゝはきほどの裝束しやうぞくで、家搜しの一隊に面白さうに手傳つて居るのでした。
だってサ敵討なんぞに幇間の出る訳のものじゃア有りません、煤掃すゝはきのドンパタやる時でさえ何の役にも立ちませんもの、敵討の処へ往ったら腰が抜けて這って逃げるくらいのものでげすから御免を
「店もお勝手も、二千兩の金を搜すので、夜半まで煤掃すゝはきのやうな騷ぎでした。——誰か來たかわかりませんが、亥刻よつ(十時)過ぎに伜が來た時はよく眠つて居たやうだつたと申します」
「フ、フ、飛んだ大掃除おほさうぢねエ、煤掃すゝはきなら暮に濟んだのに」