戸前とまえ)” の例文
そう言い捨てて闇だまりから立ちあがると、のそのそと土蔵の戸前とまえへ近づいて行って錠をはずし、拳でトントンと土扉をたたきながら
顎十郎捕物帳:14 蕃拉布 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
店と聞いていたが、暖簾のれんも看板も懸けてはない。しぶで塗った三間の出格子に、戸前とまえの土蔵がつづき、その他は高塀で取りめぐらしてある。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は冷たい風の吹き通す土蔵の戸前とまえ湿しめっぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあった江戸名所図会えどめいしょずえと、江戸砂子えどすなごという本を物珍しそうに眺めた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
半七は確かにそれと見きわめながらも、まさかにつかつか踏み込んで出しぬけに土蔵の戸前とまえをあけるわけには行かないので、もう少し確かな証拠を握りたいと思った。
半七捕物帳:20 向島の寮 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三年と五年のうちにはめきめきと身上しんしょうを仕出しまして、うちは建て増します、座敷はこしらえます、通庭とおりにわの両方には入込いりごみでお客が一杯といういきおい、とうとう蔵の二戸前とまえこしらえて
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
神田から出た北風ならいの火事には、類焼やけるものとして、くら戸前とまえをうってしまうと店をすっかり空にし、裸ろうそくを立てならべておいたのだという、妙な、とんでもない巨大おおき男店おとこだなだった。
「はい。直き一間ひとま先きに、戸前とまえの廊下に続いている蔵がございます。」
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
殊に西洋戸前とまえある押入の中に堅く閉籠りし事なれば其戸を開く迄物音充分聞えずして目を覚さずに居たる者なりそれ扨置さておき妾は施寧が躍出るを見てころがる如くに二階を降しが、金起は流石に男だけ
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
ふと、蔵の戸前とまえをふり仰いで、そこの鉄錠てつじょうがはずされているのを見つけるや否
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源いせげんと云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間でくら戸前とまえあって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そうでしょう、これから官庫の戸前とまえを開けて、男の歓心を買おうとするお蝶が、それくらいのことで、いちいち心臓を息づまらせていたひには、この暗さだけにも堪えられたものではない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蔵の戸前とまえを引いてみたり揺すぶッてみたり、苦しみぬいている様子。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)