弓削ゆげ)” の例文
「三十日。晴。朝飯より人車三乗に而出立。亀の甲より歩行。又弓削ゆげより人車。福渡ふくわたりより駕一挺。夕七時前あひ宿しゆく久保に而藤原沢次郎へ著。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そこで倫陀院長が気を利かしてタッタ一人居る助手の弓削ゆげという医学士に命じてロスコー家の様子を見に遣ると、この弓削医学士というのが又
S岬西洋婦人絞殺事件 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
あの時、同じ救い出された三人のうちで、たしか弓削ゆげとかいう、工手の方がおりましたわね。その方が、私にこういう事実を教えてくれました。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
小山田与清おやまだともきよは近代の博学であるが、その著『松屋筆記まつのやひっき』の中には、武蔵南多摩みなみたま郡の由木ゆぎ村の地名を解釈して、弓削ゆげ氏の植民地であったかと謂っているのは
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
中臣なかとみ氏、斎部いむべ氏が、朝廷の祭祀をつかさどり、物部もののべ氏、大伴おほとも氏が武将として兵事に当り、弓削ゆげ氏が弓の製造に従事し、玉造たまつくり氏が玉の加工に当つたやうなものである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
兼ねて見知越しの日疋ひびきという女流文士、弓削ゆげという二六新報の探訪、詩人の北村などの大一座が下司張ッた掛声をかけながら花合せをしており、喰い荒した鉢物やら徳利やら
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
名ある将校だけでも、細江左馬介、浅井斎あさいいつき狩野かの次郎左衛門兄弟、弓削ゆげ六郎左衛門、浅井雅楽助うたのすけ今村掃部いまむらかもん、黒崎備中、等々々、戦後の織田方の首帳に、豪華な亡命者の名をならべた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不正直者、謀反人、忠義の心忘れた奴! ……北条高時、弓削ゆげノ道鏡、蘇我の入鹿いるか川上梟帥かわかみたける、こういう奴ならいつでも斬る! ……われらがご主人桂子様ご姉妹、ご姉妹に、たてつく人間あらば
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼の生地、河内の弓削ゆげはたしかに物部もののべ氏の領地であった。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
相手が上にのし掛ったのを、又兵衛素早く腰刀を抜いて、二刀まで刺して刎返はねかえしたので、流石さすがの剛の者も参って仕舞った。武田の弓隊長弓削ゆげ某と云う者だと伝える。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
清武の家は隣にいた弓削ゆげという人が住まうことになって、安井家は飫肥の加茂かもに代地をもらった。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
タジナ(ハアタナ) 同 弓削ゆげ
西組与力弓削ゆげ新右衛門地方役たり。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)