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延享
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えんきょう
ふりがな文庫
“
延享
(
えんきょう
)” の例文
延享
(
えんきょう
)
元年の六月十一日
御目附
(
おめつけ
)
から致して町奉行役を仰付けられ
宝暦
(
ほうれき
)
三年の三月廿八日にはもう
西丸
(
にしまる
)
の
御槍奉行
(
おやりぶぎょう
)
に転じました事でございます。
政談月の鏡
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
それは、了海が樋田の刳貫に第一の槌を下してから二十一年目、実之助が了海にめぐりあってから一年六カ月を経た、
延享
(
えんきょう
)
三年九月十日の夜であった。
恩讐の彼方に
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
延享
(
えんきょう
)
四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、
修理
(
しゅり
)
は、殿中で、何の
恩怨
(
おんえん
)
もない。肥後国熊本の城主、
細川越中守宗教
(
ほそかわえっちゅうのかみむねのり
)
を
殺害
(
せつがい
)
した。その
顛末
(
てんまつ
)
は、こうである。
忠義
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
寛保
(
かんぽう
)
延享
(
えんきょう
)
の頃の
漆絵
(
うるしえ
)
紅絵
(
べにえ
)
には早くも西洋風の遠近法を用ひて
巧
(
たくみ
)
に
遠見
(
とおみ
)
の景色と人物群集の
状
(
じょう
)
とを描き
出
(
いだ
)
せり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
くだって
延享
(
えんきょう
)
元年——と、なかなかやかましいものであります。
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
柱絵と称する極めて狭長なる板画の様式はフェノロサの研究によれば既に
延享
(
えんきょう
)
二年頃鳥居清重の作にその実例を見るといへども実際柱にかけ用ゐしは後年の事なりといふ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
延享
(
えんきょう
)
四年三月の末である。門の外では、
生暖
(
なまあたたか
)
い風が、桜の花と
砂埃
(
すなほこり
)
とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。
忠義
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
然
(
そ
)
ういう
華美
(
はで
)
な
装
(
なり
)
を致しまするのを、
延享
(
えんきょう
)
年中の
流行
(
はやり
)
言葉で
伽羅
(
きゃら
)
な
装
(
なり
)
と云い、華美な装をする人を伽羅な人と云い、ちょっと様子の
好
(
よ
)
い事を伽羅じゃアないかと云い、持物が伽羅だとか
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分):02 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
“延享”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年4月3日から1748年8月5日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
“延享”の解説
延享(えんきょう、延󠄂享)は、日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗、徳川家重。
(出典:Wikipedia)
延
常用漢字
小6
部首:⼵
8画
享
常用漢字
中学
部首:⼇
8画
“延”で始まる語句
延
延喜
延々
延喜式
延暦寺
延引
延元
延宝
延金
延棒