幸若こうわか)” の例文
彼らの主張するところによれば、その支配の下には猿舞わしもおりますれば、田楽でんがく猿楽さるがく舞々まいまい幸若こうわか、その他種々の遊芸人もおります。
この踊りは、一種異様なる見物みものであります。古代の雅楽ががくの如く、中世の幸若こうわかに似たところもあり、衣裳には能狂言のままを用いたようでもある。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
旧遊女で後尼となり真禅と号した女が、曲舞を演じたこともある。幸若こうわかの流を汲む越前の芸人が上洛して、二人舞というを御覧に入れたこともある。
また、もっと後のことであるが、安土あづち総見寺そうけんじで家康に大饗応をした時も、幸若こうわか梅若うめわかに舞をまわせ、梅若が不出来であったというので、信長から楽屋へ
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
察するところ謡曲や幸若こうわかの舞に見るごとく、義経の物語にも別々の幾篇かがあったのを、ほぼ年月の順序につないでみたというばかりで、つまりは相応な長さの読み本とするための
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
播磨守が手をつと、蓬莱山が二つに割れて、天冠に狩衣かりぎぬをつけ大口おおぐち穿いた踊子が十二、三人あらわれ、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」と幸若こうわかを舞った。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
中年より禅に参し、また幸若こうわかうたいたのしみとなした。明治以後幸若の謡を知るものは川辺御楯、西田春耕の二人のみであったという。明治二十年春耕は『嗜口しこう小史』を著して名士聞人の嗜口しこうを列挙した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「お那々なな、謡え! 幸若こうわか、舞え! 伴作ばんさく々々鼓を調べろ!」
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
つづみ大倉おおくら小舞こまい幸若こうわかなどを招いて、奥方さまやその余の御家族たちに囲まれ、至極、陽気に暮しておるから、もういささかも陣中では留守を案じて下さるな——と
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ないしは能や幸若こうわかの種々の物語との、互いの関係が窺れるだろうと思う。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼の趣味は、観世かんぜのう幸若こうわかまい角力すもう、鷹狩、茶の湯——などであったという。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのあとをすぐ幸若こうわか八郎九郎太夫が、和田のさかもりを舞って、鮮やかに舞い納めたので、主賓の家康始め、一同みな興じ入って、梅若太夫の些細ささいな落度などは、たれも心にとめていなかった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)