富本とみもと)” の例文
子供のおり富本とみもとを習った母よりも長唄ながうたをしこんでもらっている私たちの方がすぐに覚えて、九連環なぞという小曲は、譜で弾けた。
湖龍斎が全盛期の豊艶なる美人とくだつて清長の肉付よき実感的なる美人の浴後裸体図等に至つてはそぞろ富本とみもとの曲調を忍ばしむる処あり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それから豊前太夫ぶぜんだいふました。富本とみもとじやうるりにせうらうましたので、長唄ながうた出囃でばやしります。岩「成程なるほどこれはえらい、ぢやア見にきませう。 ...
明治の地獄 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
これは例の富本とみもと一件で、腹にみ込んでいることであるから、声の方の芸事は問題ではないが、声を出さない方の芸事ならば、師匠の申さるる通り
四代目お葉は二代目の不思議な横死が富本とみもとの手で行はれたかも知れないといふうたがひ一つで、富本の紋章に縁のある桜の花は生涯家に植ゑさせなかつた程だ。
……富本とみもとのお稽古けいこに通ってた時分、御師匠おしょさんとこへ来る羽織衆が、そんな話をしていたことがありましたよ。
現代の日本における個人陶工として、私の尊敬する富本とみもと憲吉けんきち)の例を挙げよう。彼は特に模様を重要視する。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そのころは遊芸が流行で、そのうちにも富本とみもと全盛時代で、江戸市中一般にこれが大流行で、富五郎もその道にはなかなか堪能たんのうでありましたが、わけて総領娘は大層上手じょうずでありました。
徳川三百年、豊麗な、腰の丸み柔らかな、艶冶えんやな美女から、いつしか苦味をふくんだ凄艶せいえんな美女に転化している。和歌よりは俳句をよろこび、川柳せんりゅうになり、富本とみもとから新内節しんないぶしになった。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
根津七軒町の富本とみもとの師匠豐志賀とよしがは、年卅九歳で、誠に堅い師匠でございまして、先年妹お園を谷中七面前の下總屋と云う質屋へ奉公にって置きました処、図らぬ災難で押切の上へ押倒され
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
長唄ながうたでも、富本とみもとでも、清元きよもとでも、常磐津ときわずでも、おしかさんは決して何処へでても負けはとらない腕きで、大柄な、年の加減ででっぷりして来たが、若い時分にはさぞと思われる立派な
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)