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富坂
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とみざか
ふりがな文庫
“
富坂
(
とみざか
)” の例文
なんでも、高等学校の確か二年生であった頃ですが、若杉さんは、ある晩、
春日
(
かすが
)
町から
伝通院
(
でんつういん
)
の方へ
富坂
(
とみざか
)
を登っていたそうです。
若杉裁判長
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
安藤坂
(
あんどうざか
)
は平かに地ならしされた。
富坂
(
とみざか
)
の
火避地
(
ひよけち
)
には
借家
(
しゃくや
)
が建てられて当時の
名残
(
なごり
)
の樹木二、三本を残すに過ぎない。
伝通院
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
二人は
伝通院
(
でんずういん
)
の裏手から植物園の通りをぐるりと
廻
(
まわ
)
ってまた
富坂
(
とみざか
)
の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その
間
(
あいだ
)
に話した事は
極
(
きわ
)
めて少なかったのです。
こころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
思案入道殿の
館
(
やかた
)
に近い処、
富坂
(
とみざか
)
辺に
家居
(
いえい
)
した、
礫川
(
れきせん
)
小学校の訓導で、三浜
渚
(
なぎさ
)
女史である。
薄紅梅
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
親父
(
おやじ
)
が死んでから春木町を去って小石川の
富坂
(
とみざか
)
へ別居した。この富坂上の家というは
満天星
(
どうだん
)
の
生垣
(
いけがき
)
を
繞
(
めぐ
)
らした
頗
(
すこぶ
)
る風雅な構えで、
手狭
(
てぜま
)
であったが
木口
(
きぐち
)
を選んだ凝った
普請
(
ふしん
)
であった。
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
▼ もっと見る
譬
(
たと
)
えば
砲兵工廠
(
ほうへいこうしょう
)
の
煉瓦塀
(
れんがべい
)
にその片側を限られた小石川の
富坂
(
とみざか
)
をばもう
降尽
(
おりつく
)
そうという左側に一筋の
溝川
(
みぞかわ
)
がある。その流れに沿うて
蒟蒻閻魔
(
こんにゃくえんま
)
の方へと曲って行く横町なぞ
即
(
すなわち
)
その一例である。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
東の方は
本郷
(
ほんごう
)
と相対して
富坂
(
とみざか
)
をひかえ、北は
氷川
(
ひかわ
)
の森を望んで
極楽水
(
ごくらくみず
)
へと
下
(
くだ
)
って行き、西は丘陵の延長が鐘の
音
(
ね
)
で名高い
目白台
(
めじろだい
)
から、『忠臣蔵』で知らぬものはない
高田
(
たかた
)
の
馬場
(
ばば
)
へと続いている。
伝通院
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
富
常用漢字
小4
部首:⼧
12画
坂
常用漢字
小3
部首:⼟
7画
“富坂”で始まる語句
富坂上
富坂下
富坂町
富坂寄