-
トップ
>
-
とみざか
思案入道殿の
館に近い処、
富坂辺に
家居した、
礫川小学校の訓導で、三浜
渚女史である。
親父が死んでから春木町を去って小石川の
富坂へ別居した。この富坂上の家というは
満天星の
生垣を
繞らした
頗る風雅な構えで、
手狭であったが
木口を選んだ凝った
普請であった。
譬えば
砲兵工廠の
煉瓦塀にその片側を限られた小石川の
富坂をばもう
降尽そうという左側に一筋の
溝川がある。その流れに沿うて
蒟蒻閻魔の方へと曲って行く横町なぞ
即その一例である。