宣宗せんそう)” の例文
みん宣宗せんそうの宣徳年間には、宮中で促織こおろぎあわせの遊戯を盛んにやったので、毎年民間から献上さしたが、この促繊はもとは西の方の国にはいないものであった。
促織 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
正統帝せいとうてい御父おんちち宣宗せんそう皇帝は漢王高煦こうこうの反に会いたまいて、さいわいに之を降したまいたれども、叔父しゅくふために兵をうごかすに至りたるの境遇は、まことに建文帝に異なること無し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
白居易の亡くなった宣宗せんそう大中たいちゅう元年に、玄機はまだ五歳の女児であったが、ひどく怜悧れいりで、白居易は勿論もちろん、それと名をひとしゅうしていた元微之げんびしの詩をも、多く暗記して
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
宣宗せんそうぎたまいたる天子の、建文帝に対して如何いかんの感をやしたまえる。御史の密奏を聞召きこしめして、すなわ宦官かんがんの建文帝に親しくつかえたる者を召して実否を探らしめたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
仁宗じんそう洪凞こうき元年正月、建文帝観音大士かんおんだいし潮音洞ちょうおんどうに拝し、五月山に還りたもう。このとし仁宗また崩じて、帝をもとむること、ようやくに忘れらる。宣宗せんそう宣徳せんとく元年秋八月、従亡じゅうぼう諸臣を菴前あんぜんに祭りたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)