宣下せんげ)” の例文
(恐らく、義経が内々の所望によって、宣下せんげせられたのであろう。義経が、この頼朝を疎略にいたす事、このたびばかりではない)
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤田東湖、藤森弘庵の二人は十一月徳川家定が将軍宣下せんげの式を行う時勅使の京都より下向げこうするを機とし、これより先に京師けいし縉紳公卿しんしんくぎょう遊説ゆうぜい攘夷じょういの勅旨を幕府に下さしめようとはかった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
東宮宣下せんげの際の宣旨拝受の役を勤めた典侍ないしのすけがお湯をお使わせするのであった。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
一身阿闍梨あじやり宣下せんげあり。二品に叙せられさせ給ふ。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)
右馬介をして、序戦のうちからそれの宣下せんげをいただくべく、八方、奔走させていたことではあったが、ついにまだなんの音沙汰も今日までない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なるほど尊氏は将軍宣下せんげを求めていたが、朝廷はそれを拒否して、他の宮へ征夷大将軍を与えてしまった。のみならず、朝議はその後、おかしな叙任じょにんを尊氏へ贈っていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宣下せんげは十月半ばにあった。征夷大将軍せいいたいしょうぐんをかねて、参議に任じられ、左馬頭さまのかみに叙された。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南朝ではそのかん、直冬を“総追捕使そうついぶし”にして、尊氏討伐の宣下せんげまで与えて鼓舞こぶしていたが、直冬はもろくも京都をすてて山陰の石見いわみへ逃げ落ち、そこでまた諸国の直義党を糾合きゅうごう
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あのよき舅御がなかったら、こういう寛大があるどころではない、善信の死刑は、念仏停止ちょうじ宣下せんげがあった後、三日を待たずに行われていたにちがいない。その禅閤も、やがて、岡崎を訪れ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしていよいよ宣下せんげの日になると、彼は、老いの身を牛車くるまに託して
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さては、御赦免ごしゃめん宣下せんげ」と、房の人々は、にわかに色めき立った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とつとして、朝廷から秀吉にたいし、関白の宣下せんげがあった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
征夷大将軍の宣下せんげをこうむったのである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)