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安南
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アンナン
ふりがな文庫
“
安南
(
アンナン
)” の例文
お国の
安南
(
アンナン
)
には、併合前六ヵ月ほど滞留いたしまして、キャオ・ワン・チュウ殿下のご知遇をかたじけなくいたしました。
ノンシャラン道中記:04 南風吹かば ――モンテ・カルロの巻――
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
「
呂宋
(
ルソン
)
、
爪哇
(
ジャバ
)
、
婆羅納
(
ブルネオ
)
、
安南
(
アンナン
)
、
暹羅
(
シャム
)
あたりまでを総じて南蛮諸国と申し、また島々とよび、
満剌加
(
マラッカ
)
から先、
臥亜
(
ゴア
)
などを奥南蛮とも申しております」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天竜寺船
(
てんりゅうじせん
)
や
御朱印船
(
ごしゅいんせん
)
のような貿易船も南の海を渡って、
呂宋
(
ルソン
)
(フィリッピン)、
渤泥
(
ブルニー
)
(ボルネオ)、
安南
(
アンナン
)
(仏印)、
暹羅
(
シャム
)
(泰)の国々や島々と、日本との間を
往
(
ゆ
)
き
来
(
き
)
した。
秘境の日輪旗
(新字新仮名)
/
蘭郁二郎
(著)
然
(
しか
)
り、彼らが
八幡
(
はちまん
)
の旗は、
翩々
(
へんぺん
)
として貿易風に
翻
(
ひるがえ
)
り、その軽舟は、黒潮の暖流に乗じて、台湾、
呂宋
(
ルソン
)
より、
安南
(
アンナン
)
に及び、さらにスマタラ海峡を突過して、
印度
(
インド
)
洋に迫らんとす。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
印度
(
インド
)
は既に亡びて英国に属し、
爪哇
(
ジャワ
)
はその制を
荷蘭
(
オランダ
)
に受け、
暹羅
(
シャム
)
はその命を英国に聞き、近時
安南
(
アンナン
)
も
亦
(
ま
)
た疲れて
仏蘭西
(
フランス
)
に帰する等、漠々たる亜細亜大陸の広き、能く独立の躰面を全うし
祝東京専門学校之開校
(新字新仮名)
/
小野梓
(著)
▼ もっと見る
安南海上吟(
安南
(
アンナン
)
海上の吟)
南半球五万哩
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
タヌは、急に
安南
(
アンナン
)
の女王のような重々しい声で、「君は『幸福の鍵』ってのを持っているそうですが、本当ですか」
ノンシャラン道中記:04 南風吹かば ――モンテ・カルロの巻――
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
かくあるも道理なれ、
甲比丹
(
カピタン
)
クックは、太平洋を航して、幾多の群島を発見せり。
仏蘭西
(
フランス
)
は
安南
(
アンナン
)
に向い、その交渉の
端
(
たん
)
を
啓
(
ひら
)
けり。露人は既に南下の勢に乗じて、樺太の
半
(
なかば
)
を占略せり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
高麗
(
こうらい
)
、
大明
(
だいみん
)
はおろか、
安南
(
アンナン
)
、
柬埔寨
(
カンボジヤ
)
、
婆羅納
(
ブルネオ
)
、
暹羅
(
シャム
)
、
高砂
(
たかさご
)
、
呂宋
(
ルソン
)
、
爪哇
(
ジャバ
)
、
満剌加
(
マラッカ
)
はいうに及ばず、遠くは
奥南蛮
(
おくなんばん
)
から
喜望峰
(
きぼうほう
)
の
岬
(
みさき
)
をめぐり、大西洋へ出て、
西班牙
(
スペイン
)
、
葡萄牙
(
ポルトガル
)
、
羅馬
(
ローマ
)
、どこへでも
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
呂宋
(
ルソン
)
、
交趾
(
コーチ
)
、
安南
(
アンナン
)
あたりの舶載品らしい陶器、武器、家具の類から、印度とかペルシャなどから
齎
(
もたら
)
した物らしい鉱石の
塊
(
かたまり
)
や、仏像、
絵革
(
えかわ
)
、
聖多黙縞
(
サンタマリアじま
)
、それから南蛮船の模型だの、金銀の細工品だの
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“安南”の解説
安南(あんなん、fr: l'Annam、vi: Trung kỳ / 中圻)は、フランス統治時代のベトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代の安南都護府に由来する。ただし、これはフランス側の呼称であって阮朝ベトナム(大南国)の行政区分における中圻(チュンキ)に相当している。ベトナム独立後、安南に相当する地域を指す名称にはミエンチュン(中部地方)()が主に用いられ、アンナンは余り用いられない。
(出典:Wikipedia)
安
常用漢字
小3
部首:⼧
6画
南
常用漢字
小2
部首:⼗
9画
“安南”で始まる語句
安南人
安南船
安南沖
安南漆
安南絵