てつ)” の例文
俗にをひをせいと書し、めひをてつと書するからである。しかし石に聞く所に據るに、壽阿彌を小父と呼ぶべき女は一人も無かつたらしいのである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
明治辛未しんびの三歳、吾がてつ義卿ぎけい身を致せしをること、すでに十三年なり。その間風雲しばしば変わり、つねに中懐に愴然そうぜんたること無きあたわず。十月某日はすなわちその忌辰きしんなり。祭りてこれに告げていう。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
光徳は小字おさなな徳治郎とくじろうといったが、この時あらためて三右衛門を名告なのった。外神田の店はこの頃まだ迷庵のてつ光長こうちょうの代であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
御たびかけのこと、しな/″\御みやげ等下され、いたみ入かたじけなく奉存候。さいてつどももまかり出、御めにかかり候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし京水が果して独美のてつであったなら、たとい独美が一時養って子となしたにもせよ、ただちに瑞仙の子なりと書したのはいかがのものであろうか。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この書にれば、独美は一旦いったんてつ京水を養って子として置きながら、それに家をがせず、更に門人村岡晋むらおかしんを養って子とし、それに業を継がせたことになる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
是に由つて観れば、伯母沢は瑞英を悪んでも、伯父瑞仙はてつ瑞英との交を絶たずにゐて、名を従孫じゆうそんに命じたと見える。雄太郎は後の瑞長直頼ずゐちやうなほよりである。此年瑞英二十五歳。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
姪はもと女子の謂ふ所であつても、公羊傳くやうでん舅出きうしゆつの語が廣く行はれぬので、漢學者はをひをてつと書する。そこで奚疑塾けいぎじゆくに學んだ壽阿彌は甥と書せずして姪と書したものと見える。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
それゆゑ蘭軒の男と書したのは戸籍上の身分、茶山のてつと書したのは血統上の身分である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
清常に至つては壽阿彌がこれを謂つててつとなす所以ゆゑんつまびらかにすることが出來ない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
慶応二年五十八歳の時横井は左平太さへいた太平たへいの二人のてつを米国に遣つた。海軍の事を学ばせるためであつた。此洋行者は皆横井が兄の子で、後に兄を伊勢太郎いせたらうひ、弟を沼川三郎ぬまがはさぶらうと曰つた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)